2014年1月30日木曜日

新聞配達の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、1度だけ確認した後、強迫観念に苛まれ、
それによって、極度の不安に陥っても、確認強迫をしないための方法について、
説明していくことにします。

新聞を1度だけ確認してポストに入れると、当然ながら強迫観念が発生します。
そして、その強迫観念が生み出す不安があまりに強いため、
その不安を解消するために、もしくは、その不安から逃れるために、
確認強迫をしてしまうというのが、確認強迫をしてしまうまでの過程です。
新聞配達における強迫観念は以下のようなものでした。


「間違えて配達することで、お客様にご迷惑をかけていないか」
「その結果、購読を止められて、自分の給料が下がるのでは?」

確認を1度だけして、ポストの前から去ると、このような強迫観念に苛まれます。
そして、それによって、極度の不安が発生します。
しかし、ここで確認強迫をしてはいけません。
確認強迫をしないと、極度の不安はそのままなので、
とても苦しいのですが、それでも確認強迫はしないのです。

強迫性障害の当事者の方、経験者の方ならよくご存じの通りですが、
あの極度の不安は非常に耐え難いものですので、
あのような強迫観念と極度の不安に苛まれた場合、
それに耐えられるわけがないと思ってしまう方もいます。

なるほど、確かに耐えるというのは、相当に難しいことです。
変な話、僕もあの極度の不安に、なんの策もなく耐えることは不可能です。
耐えられないほどの不安だからこそ、僕も含めて、
みな、確認強迫をしてしまうのです。

たとえば、強迫観念が発生した時、その強迫観念に対抗するため、
必死になって、頭の中で戦う方がいます。
人並み外れた強靭な精神力をお持ちの方でしたら、
もしかしたら、そうすることで強迫観念と、そこから発生する極度の不安に、
耐えられるかもしれません。

そうして耐え続け、一定の時間が経過すれば、
不安は徐々に弱まっていき、確認強迫をしなくてもよくなりますし、
そうした経験を何度も繰り返せば、そう遠くないうちに強迫観念も、
発生しなくなるのです。

ただ、それまでの経験から、強迫観念というものは、確認強迫をしなくても、
一定の時間さえ経過すれば、とにもかくにも、強迫観念は消え去り、
そうした経験を何度か積めば、強迫観念自体、発生しなくなることを、
幸いにして、僕は知っていました。

となれば、強迫観念が発生した時、どんな方法であってもよいから、
とにもかくにも、確認強迫をしないことが大事となってきます。
強迫観念が発生しても、確認強迫を一切しないまま、
時間を経過させることが出来るのなら、どのような方法でもよいので、
時間を経過させてしまえばよいというわけです。

普通の精神力の人ですと、頭に発生した強迫観念と、
喧嘩しても、無残に敗れ去ってしまいます。
僕も100戦して100敗、負け続けの人生でした。

そこで考えたのです。強迫観念が発生して、極度の不安に苛まれても、
どのような形であっても、時間が経過したら、
次第に不安も弱まり、強迫観念も消えるのなら、
強迫観念と戦う以外の方法もあるのではないだろうかと。

強迫観念と戦って無残に敗れるわけでもなく、
強迫観念から逃がれるために、確認強迫をするわけでもない、
第三の選択肢があるのではないかと、考え始めたのです。
そして、頭の中でも、実際の行動でも、あらゆることを試してみて、
いろんな方法があることに気付いたのですね。

そのうちの一つが、強迫観念が発生し、極度の不安に苛まれて、
確認強迫をしたくなった時、確認強迫をしないでいると、
強迫観念が活発化し、不安も極限まで高まるのですが、
その時に、強迫観念と極度の不安をそのまま感じ続けることに、
専念するという方法です。

長くなったので、続きは次回で説明することにします。




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2014年1月29日水曜日

新聞配達の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、完璧主義、社交不安障害、生活の困窮が、
確認強迫をを生み出す、強い不安の源泉であることを知ったので、
それを治すことにしました。

ここで、それらを治す過程を書きますと、
強迫性障害の話が出来るのが、数年後になりそうですので、
それらについては、またいずれ説明するとして、
ここでは、治したその後の確認強迫の治し方について説明します。

完璧主義、社交不安障害、生活の困窮が、
ほぼ改善されても、それまでの習慣はなかなか変わらないもので、
その後も、確認強迫が続いていました。
ただ、改善する以前とは違って、自分の確認強迫が、
過剰なものであると、認識することが出来るようにはなっていました。

自分の確認強迫が不条理なもので、確認が過剰であると、
しっかりと確信を持てるようになったら、確認強迫の治し時です。
完璧主義、社交不安障害、生活の困窮がある程度改善されたので、
以前よりは強迫観念が生み出す、異常なほどに強い不安は、
感じなくなったので、今なら治せるということで治療に挑戦しました。

これまでも書いてきたように、確認強迫の治し方は、
強迫観念が頭の中に発生したら、強迫観念の不条理なところ、
非論理的なことを自覚することから始まります。

自覚した上で、強迫観念が発生しても、その強迫観念は、
そのまま放置しつつ、確認強迫をしないことを、
何度か続けていれば、次第に確認強迫をしなくても、
強迫観念が時間の経過とともに、徐々に弱まっていき、
ついには発生しなくなるのです。

「間違えて配達することで、お客様にご迷惑をかけていないか」
「その結果、購読を止められて、自分の給料が下がるのでは?」

という、二つの強迫観念と、それが生み出す不安を感じつつも、
確認強迫をせず、確認は1度だけにして、新聞をポストに入れます。
確認を1度だけして、ポストの前から去り、次の家に向かうのです。
すると、当然、強迫観念が頭に思い浮かびます。

次回では、確認を1度だけにして、強迫観念が頭に渦巻いた時、
どのようにすれば、やりすごせるのか。その具体的な方法を、
説明することにします。




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2014年1月26日日曜日

新聞配達の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、強迫観念によって生まれた不安が、
あまりに強烈なために、確認せずにはいられなくなって、
確認強迫という症状が出てしまうのです。

そうであるならば、この不安を普通の人が感じる程度の不安にまで、
弱めることが出来れば、確認強迫にならず、1度の確認で安心できます。
まずはこの不安が発生する過程です。


1.間違えて配達して、お客様にご迷惑をかけることと、
  その結果、自分の給料が減ることを避けたいという、
  二つの強い気持ち

2.1の気持ちが強すぎるため、「間違えて配達したのでは?」
  という強迫観念が発生。

3.間違えて配達したとしたら、1で懸念している不利益が現実のものとなるので、
  それを恐れて、極度の不安に陥る。

4.極度の不安から、なんとか逃れるために確認強迫をしてしまう。


という流れで、極度の不安に陥り、その不安を解消するために、
確認強迫をしてしまいます。このような過程によって極度の不安が発生します。
確認強迫をしてしまうのは、この不安が普通の人と比べて、
極度に強すぎるせいなので、この不安を弱めるための方法を考えました。
それを、説明していくことにします。

この極度の不安を生み出す思考は、上記の1です。
この1は「間違えて配達してお客様にご迷惑をかけること」と、
「給料が減らされたくない」という二つの思考から成り立っていますので、
この思考から吟味していきたいと思います。

まず「間違えて配達したら、お客様に迷惑がかかる」というのは、
これは当たり前のことですよね。新聞配達はお客様あっての商売ですから、
ご迷惑をおかけするのはいけませんので、
配る新聞を間違えてはいけないと思うのも当然です。

それでも、普通の人に見られない、極度の不安が生まれるのはなぜか。
この思考そのものには問題はないのですが、
この思考を生み出した、僕自身の思考のより深い部分に、
問題があるのではないかと考え、さらに自分の思考を言語化したところ、
いろいろと分かったのです。

まず配達を間違えるということ、それ自体を許せない考えがありました。
強迫性障害の人の完璧主義的傾向はよく言われますが、
やはり僕も完璧主義ですので、そうした自分の失敗が許せなかったのです。
失敗を極度に恐れ、完璧を追求しすぎる思考。
これが配達を間違えるということに、極度の不安を生み出す源泉の一つでした。

また、「お客様にご迷惑をおかけすること」についても、
それを避けたいのは当然のことです。この思考自体は普通なのですが、
その背後にある思考を言語化してみると、異常なものがあったのです。
それは、「お客様にご迷惑をかけることで、お客様からの評価を失いたくない」
であったり、「お客様に怒られたくない」などの思考でした。

当時の僕は社交不安障害がまだまだありましたので、
人からの評価が落ちて、人に怒られたり、嫌われたりすることを、
極度に恐れていたのです。このような恐れがあまりにも強いために、
自分を否定されでもしたら、絶望することに繋がりますので、
それが極度の不安を生み出していたのです。

また、間違えて配達することで、お客様が新聞の購読を止め、
自分の給料が下がることを恐れるのは、生活の不安からでした。
少ない給料でやりくりして、なんとか生活していた当時の僕ですので、
少しでも給料が減ることは、死活問題だったのです。

このように考えてみると、1の思考の源泉がよく見えてきます。
そこで、上に書いた極度の不安を生み出す流れを補足すると、
以下のようになります。


0.完璧主義があるので、失敗すること自体を自分で許せない。
  社交不安障害があるため、失敗してお客様に怒られ、
  否定されることを極度に恐れる。
  生活に困窮しているので、収入が減るのは死活問題。

1.0という大前提が自分の思考にあるので、
  間違えて配達して、お客様にご迷惑をかけることと、
  その結果、自分の給料が減ることを避けたいという、
  二つの極度に強い気持ちが生まれる。

2.1の気持ちが強すぎるため、「間違えて配達したのでは?」
  という強迫観念が発生。

3.間違えて配達したとしたら、1で懸念している不利益が現実のものとなるので、
  それを恐れて、極度の不安に陥る。

4.極度の不安から、なんとか逃れるために確認強迫をしてしまう。


ということになります。であるならば、根本的に、
1の思考を生み出す大前提である0を治さなければ、
なかなか、確認強迫を生み出す、極度の不安も解消出来ません。
完璧主義、社交不安障害、生活の困窮。

この3つの自分の脳内の思考や障害をなくすことが、
確認強迫を治すためには必要だと判断した僕は、
それをなくすために、いろいろと行動することにしたのです。

このブログは、あくまで強迫性障害の治療の仕方について、
説明するものですので、上の1を生み出す大前提の、
完璧主義、社交不安障害、生活の困窮を改善するための試みについては、
説明しません。また別の機会にでも書くとして、
これらを改善した後の、さらにその先の確認強迫の治療についての説明を、
次回では、説明していくことにします。




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2014年1月25日土曜日

新聞配達の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いてきたように、確認強迫の一つを統合したことで、
新聞配達における確認強迫は、


1.ポストに入れる前にまた、新聞の種類が正しいか確認強迫
2.ポストに入れた新聞を取り出してまで、さらに確認強迫
3.5軒前の家のポストの中の配り終えた新聞までも確認強迫

というように、1つ減って、3つになりました。
1つ減っても、まだまだ確認強迫が多すぎて、精神的にも、仕事自体にも、
支障が出ていましたので、次に1の新聞をポストに入れる前の確認強迫を、
治すことにしました。

ポストに入れる前に、新聞を確認してしまうのはなぜかと考えますと、
違う新聞を入れることによって、お客様にご迷惑をかけたくないことと、
そうしたことを繰り返して購読を止められて、
自分の給料が減ることを避けたいという、二つの理由があります。
ですので、新聞を必ず正確に配達したかったのです。

そうした気持ちが極度に強すぎたことで、強迫観念が発生します。
「新聞を正しく入れられたかどうか?」であったり、
「間違った新聞を入れてしまったのではないか?」であったりです。
こうした強迫観念が頭の中に発生して極度に不安になるので、
正しく新聞を入れられたのかを確認して、安心しようとするために、
確認強迫という症状が発生しているわけなのです。

さて、強迫観念を生み出す思考である、
お客様にご迷惑をかけないことと、自分の給料が減るのを避けたいこと。
この2つは極めて普通の思考、全うな思考であると言えます。
ですので、この2つの思考については、特に変更する必要はありません。
次に検証する必要があるのは、強迫観念です。

「新聞を正しく入れられたかどうか?」という強迫観念ですが、
正しい新聞をポストに入れられたかどうか気になるのもまた、
当たり前のことですので、至極当然な思考であると言えます。
ですので、これについても変更する必要はないと判断しました。
仕事ですから、正確にやるのは当たり前のことなのです。

こうして考えると、確認強迫という行動のみが異常で、治すべきものと判断できます。
確認強迫は強迫観念から生み出されるというよりは、
実際は強迫観念によって生み出された不安が、常識外れの強烈さで、
なんとかそこから逃れて安心したいという強い思いが生み出しています。
普通の人も同じ不安を抱えていますが、そこまで極度の不安は感じません。
強迫性障害の人の場合の不安が異常なだけです。

であるならば、確認強迫を治すためには、
この強い不安を普通の人と同程度の弱い不安にする必要があります。
不安が普通程度のものになれば、確認を何度も繰り返すことなく、
1度の確認をするだけで、配達の正確性を実感できるわけで、
確認強迫などしなくなれるわけなのです。

新聞配達の確認強迫は、このように強迫観念が生み出す不安が、
極度に強いことが原因であると、僕は判断しました。
この不安をいかにして解消すればよいのかを、
次回、詳しく説明していくことにします。




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2014年1月23日木曜日

新聞配達の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)5-症状編
で書いた、新聞配達における強迫観念は以下のようなものでした。

1.ポストまでの道中、自分が持っている新聞の種類が正しいか確認強迫
2.ポストに入れる前にまた、新聞の種類が正しいか確認強迫
3.ポストに入れた新聞を取り出してまで、さらに確認強迫
4.5軒前の家のポストの中の配り終えた新聞までも確認強迫

といったものだったのです。
この確認強迫を治して、快適に新聞配達がしたいと思った僕は、
いかにして、これを治すかと考えてみたのです。
そして、すぐに気付いたのが1と2の重複している確認強迫でした。

当たり前のことですが、ポストまでの道中で確認した、
自分が手に持っている新聞の種類が、ポストに到着した途端に、
変化するはずなどないのです。
「中日新聞を手に取って、ポストの前まで行ったら、いつの間にか朝日新聞に!」
などということは、あるわけがないのです。
であるからには、この間の確認強迫も1度でよいのです。

ですので、まずはこの1と2の確認強迫を統合して、
ポストに入れる前の確認強迫のみにすることにしました。
実際に試してみると、最初の頃はポストに辿り着く前についつい、
確認強迫してしまいます。でも、意外にすぐに、
ポストの前に辿り着くまで、確認強迫をしないで済むようになりました。

そうして、ポストの前で確認強迫することにしました。
確認を1度で済ませられたらいいのですが、残念なことに、
当時の僕にとって、それは極めて難しいことでした。
○○新聞という文字を見て確認して、ポストに入れるために新聞を二つ折りにして、
○○新聞という文字が見えなくなった瞬間に、強烈な不安に襲われるのです。

○○新聞という文字が見えなくなった瞬間、それが本当に○○新聞なのかと、
強烈な不安に苛まれるので、二つ折りにした新聞をまた開いて、
また確認するのです。そうして、また二つ折りにしたら不安になって、
また開いて確認して、二つ折りにしたら、また不安になって確認と、
確認がエンドレスに続くのでした。

数十回確認しても、自分の正しさを全然実感出来なくて、
もうどうにでもなれと新聞を入れて、ようやく確認強迫が終わるのです。
そうしてようやく、次の家の配達に向かえるわけです。

こうして1と2の確認強迫を統合し、1つにすることで、
確認強迫をする回数が減り、配達時間の短縮に成功しました。
しかし、それでも、確認強迫がある限り、苦痛は続きますので、
次に2のポストに入れる前の確認強迫をやめるようにしたのです。
その方法について、次回で説明することにします。




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2014年1月21日火曜日

新聞配達の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)5-症状編

社交不安障害とうつ病の症状が酷いため、まともに働けなかった僕は、
1人で出来る仕事なら大丈夫だろうということで、新聞配達を始めました。
新聞配達は毎日早起き出来る人なら、誰でも出来る簡単な仕事なのです。
ただただ、自転車や原付を走らせつつ、ポストに新聞を入れるだけですし、
仕事中は人間関係が一切ないので、とても気楽でよいのです。

そう思って始めたのですが、いざやってみると、
「なるほど確かに、これは楽な仕事だ」と思えたのですが、
それはあくまでも一般人視点からするとそうなだけで、
強迫性障害のある僕には、かなり厳しいものでした。

というのも、新聞には種類があり、たとえば、この家は中日新聞、
この家は朝日新聞というように、お客様によって、
配るべき新聞が違うからです。当然、どの家に何を配るかを確認して、
配らなければなりません。そして、「確認あるところに確認強迫あり」の、
僕の場合、どの家にどの新聞を配ったかの確認強迫が出てしまいました。

たとえば、お客様の家に到着して、中日新聞を手に取ったら、
新聞の銘柄の確認強迫がスタートします。
それが終わって、そこからポストまで歩いていくうちに、
「自分が手に持っているのは、本当に中日新聞だろうか?」
という強迫観念が出てきて、また確認強迫します。

ようやくポストに到着し、ポストに入れる前に、また確認強迫します。
それで済めばラッキーなのですが、僕の生来の用心深さゆえでしょうか、
「ポストに入っているのは、中日新聞だろうか?」という強迫観念が発生!
ポストの中から新聞を取り出して、さらに確認強迫を始めるのです。
そんなことをしていたら、40分で配れる区域なのに、2時間もかかりましたよ。

このような形で、毎日毎日、確認強迫をしながら、新聞配達していました。
新聞をポストに入れたら、それで終わりなら、まだ楽だったのですが、
5軒ほど配ると、「5軒前の家にちゃんと正しい新聞が配れたのか?」という、
強迫観念に苛まれ、それに負けると、わざわざ5軒前の家のポストの中から、
新聞を取り出して、確認強迫を始める始末。とても辛いものでした。

「これは、なんとかして治さねば!」と思い、その方法をあれこれ考えて、
試していった結果、今では、確認強迫を一切しなくとも、何の問題もなく、
しかも間違えることなく配達出来るようになりました。
すっかり治すために使った方法を、次回からの治療編で、
説明していくことにします。長くなりますが、どうぞお付き合いください(^-^)



新聞配達の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫8-確認強迫(強迫性障害)5-治療編




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2014年1月19日日曜日

マークシートの確認強迫-確認強迫(強迫性障害)4-症状編

僕は昔、通信制の大学に在籍していました。
その大学の場合、学期末に単位認定試験が行われますので、
当時、社交不安障害の僕は必死になって、試験会場まで行きます。
極度に人が苦手でしたので、会場内に入れないことが多いのですが、
ごく稀に会場内に入れたので、その時は試験を受けられたのです。

その大学の単位認定試験は、マークシート方式で行われます。
名前だけは文字で書き、生年月日、学生番号、問題の解答については、
特定の数字の部分を塗りつぶすという方式だったのです。
言うまでもなく、当時の僕もまだ、強迫性障害です。
強迫性障害のはしくれの僕ですので、名前を書いたら確認しますよ!

玄関の戸締りの確認ですと、戸をガタガタと動かして、
締まっていることを確認するというように、行動が伴いますが、
文字の確認となりますと、これはもう、ひたすら自分が書いた名前を凝視します。
人間の感覚というのは面白いもので、自分の名前を疑いの目で以て、
必死で凝視し続けるとですね。

自分の名前を意味する文字が、だんだんと意味を持ったものに、
感じられなくなってくるのです。さらに凝視し続けると、文字にも感じられなくなり、
そこに何も意味のない、ただの記号や模様のように感じられてくるのです。
そしてゲシュタルト崩壊が起き、もはや、自分の名前を意味していたはずの、
その文字が、何が何やらさっぱり分からない意味不明のものとなります。

自分が書いた名前を確認しようとすればするほどに、
自分の名前を意味する文字の意味がどんどんと分からなくなり、
最後にはそこに全く意味を感じられなくなっていくのです。
確認すればするほどに目の前の物事が表している意味が全く分からなくなってしまう。
これこそまさに、確認強迫の悲劇であり、恐ろしさでもあるのです。

ここまでくると、自分の名前の確認をするのは無理だと判断し、
次は10桁ほどの学生番号の数字の枠の中を塗りつぶすことになります。
0から9の数字のなかのいずれかの番号を塗りつぶすわけですが、
0から9の数字という選択肢が10もあるわけです。10個の選択肢の中から、
1つの数字の枠を塗りつぶす。1つ塗りつぶしたら、当然確認します。

一般人であれば、1度確認すればよいでしょう。0.1秒もかからないはずです。
しかし、強迫性障害の僕ですと、塗りつぶしたという自分の行為が、
どうしても信じられないので、当然、確認することとなります。
自分が塗りつぶしたのが、正しい数字だったのかの確認です。
そして名前の時と同じように、数字がゲシュタルト崩壊して終わります。

そのような作業を繰り返し、発狂しそうになりながら次の数字を塗りつぶします。
そうして塗りつぶしゲシュタルト崩壊しという過程を10回繰り返して、
ようやく10桁の学生番号を全て塗りつぶすことが出来るのです。

学生番号の10桁の数字を塗りつぶし終えた頃になると、
当然ながら、「ちゃんと自分の名前を書けたのだろうか?」と、
極度の不安に苛まれますので、再び、名前を確認するために名前の文字を凝視し、
そして文字がゲシュタルト崩壊して、正しく名前が書けたのかの確認が、
遂行不可能となり、絶望します。すると、また学生番号が心配になりと、
延々と確認強迫が続いていくのですね。

そして、確認強迫を続けていると、そのまま50分のテストの時間が終了するのです。
解答欄にまで辿り着けないままにテストが終了しましたよ!
当然0点ですので、単位は取得できませんでした。残念なことです。
このように強迫性障害の確認強迫という症状によって、単位が取得出来なかったので、
大学を卒業することを断念したのです。




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2014年1月18日土曜日

ドラクエ5の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)3-治療編

ドラクエ5の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)3-症状編
で書いたように、ドラクエ5で確認強迫が始まってしまいました。
この確認強迫を生み出してしまう強迫観念は以下のものです。


「小さなメダルを全て集めなければならない」


という極めてシンプルな強迫観念となっております。
そもそも、どうして、こんなどうでもいいことが強迫観念になるのでしょう。
考えてみますと、これは当時の僕の完璧主義、完全主義のせいです。
なんでもかんでも、完璧にこなさないといけないという思い込みが、
こうした強迫観念を生み出してしまっていたのです。

完璧主義も生きていくためにどうしても必要なことについて発揮されれば、
多少は有用なものなのですが、完璧主義者による、
「完璧でなければならない」ということの対象は、ほぼ間違いなく、
極めてどうでもいいことです。
今回のドラクエ5におけるものについても、明らかにどうでもいいことです。

ですので、このどうでもいい強迫観念をいかにして無力化するかが、
ちいさなメダルが登場する、ドラクエ4以降のドラクエシリーズで、
確認強迫に邪魔されることなく、楽しんで遊べるようにするのに、
大事なことになってくるのです。
ですので、この強迫観念がいかにくだらないものなのかと吟味してみます。

そもそも、この小さなメダルというものを、どうして集めたいのかと言いますと、
小さなメダルを集めた数に応じて、非売品の貴重なアイテムがもらえるからです。
そこで、このゲームにおけるアイテムが、何のために存在するのかと考えると、
それは戦闘を優位に進めるためのものであることに気付きます。
では、このゲームにおける戦闘の目的とは何か?

それは、戦闘することによってキャラクターを成長させ、
ボスを倒してゲームをクリアする、ということです。
ドラクエというゲームで遊ぶ目的も、基本的にそのようなものとなっています。
戦闘して成長し、中ボスを倒すことでストーリーを進めていき、
最後のボスを倒して、ストーリーの結末を見るのが目的なのです。

このようにして考えると気付くのが、クリアすることが目的なのだから、
クリアさえ出来ればいいのだということです。
ちいさなメダルを全て集めなくても、クリアすることには、全く支障がないのですね。
クリア出来たら、それだけでもう満足出来るのだから、
別に小さなメダルなど、適当に集めていれば、それでいいのだと言えます。
そこで以下のように考えるわけです。


「小さなメダルは普通に遊んでいて、結果的に集まればそれでいい。
 武器防具もアイテムも、クリア出来るだけのものを獲得出来れば、それでいいのだ」


と考えるのです。もちろん考えるだけでは駄目です。
どのような思考についてもそうですが、ある思考を自分のものにするには、
その思考を基準にした行動を何度も経験する必要があるのです。
そのような行動を何度も経験しますと、新しい思考が、
いずれは、しっかりと自分のものとなります。

上記のような思考に基づいて、ドラクエシリーズで遊び続けると、
上記の思考がしっかりと自分の頭に根付きます。
すると、小さなメダルについての強迫観念はそれに反比例するかのように、
どんどんとその力を失っていき、いずれは消滅してしまうのです。

思い返せば、ドラクエ6の頃から、ゲームで遊ぶ時はこのような思考で遊び、
今では、どんなゲームでもクリアするだけで充分に満足出来て、
ちいさなメダルや武器防具、その他のアイテムなどを全部集めなくても、
すっかり平気になるようになりました。

もちろん、集めたくなったら集めますけども、
以前のように「全てを集めなければ駄目だ!」などとは思わないので、
ストレスを全く感じることもなく、変な強迫観念に苛まれることもなく、
楽しんで集めることも出来るようになりました。
というように、ドラクエ5で発生した強迫観念はすっかり消えてなくなりました。

以上のように、ドラクエ5やドラクエシリーズについての強迫観念であったり、
他のゲーム、たとえばマリオやゼルダなどに対する変な強迫観念であったりが、
発生することは、全くなくなりましたので、今ではすごく快適に、
なんの苦痛も感じることなく、ゲームを楽しめるようになったのです。




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2014年1月16日木曜日

ドラクエ5の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)3-症状編

1992年、僕が17歳の頃、スーパーファミコン用ソフトである、
「ドラゴンクエスト5」が発売されました。
ドラクエシリーズはそれまで全て遊んでいた僕ですので、
当然のごとく、ドラクエ5を購入し、遊び始めたのです。

ドラクエ5はとても素晴らしいゲームでした。
ストーリーもゲームシステムも、モンスターを仲間に出来るのも、
とてもよく出来ていて、非常に面白かったです。
ドラクエシリーズには、4からだったでしょうか?
最近の作品でも登場している、ちいさなメダルというものがあります。

ちいさなメダルは宝箱やツボやタンスの中などに隠されていて、
そこを調べると、獲得することが出来ます。
ちいさなメダルを集めて、メダル王に会いに行くと、
メダルの数に応じて、非売品の武器などと交換してもらえるので、
僕もメダルを夢中になって集めたものです。

メダルがあるのは、そうした宝箱などばかりだと思っていたのですが、
ゲームが終盤にさしかかる頃、たまたま塔のあるところを調べたのです。
そしたら、メダルを発見しました。それまで、宝箱などにしか、
入っていないと思っていたメダルが、なんと宝箱などがない、
ただの地べたに落ちていたのです!

その時、僕は思ってしまったのです。
「ちょっと待てよ? こんなところにメダルがあるのなら、
 他の地べたにもメダルが落ちているに違いない!」と。
そう思ったが最後、強迫性障害全盛期のこの僕は、
小さなメダルが落ちていないかを必死で探し始めたのです。

一歩歩くごとに調べ、また一歩歩くごとに調べます。
塔の中を一歩ずつ調べ、ダンジョンの中も一歩ずつ調べます。
当然、街や村の中も城の中も、歩けるところは全て調べますよ!
ゲームで楽しく遊んでいたのが、くだらないきっかけで、
強迫観念が頭の中で大爆発して、確認強迫で大変なことに。

精神的な疲労が極度に達しつつも、なんとか全ての塔などのダンジョン、
街や城などを調べつくし、もうこれで大丈夫だと思った時に気付いたのです。
「まだ街の外のフィールドは全然調べてないじゃないか!」と。
強迫性障害の僕ですから、当然、そこから確認強迫スタートですよ!

フィールドは広いですよ。とても広いのです。
なんせ、ドラクエ5における世界地図ですからね。街や城の比ではありません。
その世界地図を一歩歩いては調べ、また一歩歩いては調べていきます。
いつ終わるのか分からない作業ですが、強迫観念が酷くて、
くだらないことと思っているのに、やめたくてもやめられないのです。

来る日も来る日も調べ続け、精神的にどうにかなってしまったのでしょう。
確認強迫をどこまでやって、どのようにゲームをクリアして、
どのように確認強迫が終わったのか、今では全く思い出せません(笑)。
ただ、どうにかして、確認強迫はやめたのでしょう。
というのも、その数年後のドラクエ6の時は普通に遊べていましたからね。

どのように治したのかは記憶にないのですが、
いい機会ですので、もし今後の僕がドラクエシリーズで遊んだ時、
再びちいさなメダルの強迫観念と確認強迫が発生した場合に、
いかにして治そうと考えているのかを、治療編で説明していくことにします。




ドラクエ5の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)3-治療編




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2014年1月14日火曜日

ガスと玄関の確認強迫9-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫8-確認強迫(強迫性障害)2-治療編
で説明したように、確認強迫を生み出す強迫観念に対する反論であり、
それを自分の頭に定着させることによって、確認強迫をなくすことが出来る、
新たな思考を考えだしました。


「鍵をかけられなくても、泥棒が入る確率はせいぜい100分の1以下である。
 それならば、鍵をかけられなくても、泥棒に入られることはまずないだろう。

 もし仮に泥棒が侵入し、我が家を物色したとしても、見付けるのが困難な場所に、
 財産などを保管し、さらにはそこにも鍵をかけているのだから、
 泥棒に財産を奪われる確率は100分の1という確率よりもさらに低くなる。

 そもそも、我が家の全財産を奪われたとしても、財産は取り返しのつくものである。
 家族の命を奪われるわけでもないのだから、そこまで心配しなくともよい」


という思考です。この思考が強迫観念の代わりに頭に定着すれば、
何度も確認しなければならない確認強迫はなくなり、
1度の確認だけで、玄関の確認が終わらせられると考えたのです。

さて、強迫観念というものは、それまでの自分が生きていく上で、
採用してきた思考に根差した観念です。ですので、これを置き換えるのは、
それほど簡単には出来ません。この思考に基準にして行動して、
それまでの人生を生きてきたものなのです。

では、そのような強迫観念を上記の新しい思考に置き換えるには、
いかにしたらよいか。それは、これまで、強迫観念を生み出すような、
思考を基準にして行動し、生きてきたのと同じように、
新しい思考を基準にして行動し、生きていけばよいのです。
そうして行動して生きていけば、それほど時間がかかないうちに、
新しい思考が頭に定着し、確認強迫を生み出す強迫観念と置き換わるのです。

これまで考えてきた新しい思考を基準にして行動することになりますと、
確認は1回だけで済ませればよいということになります。
ですので、新しい思考を定着させるためには、新しい思考を、
自分に言い聞かせつつ、1回の確認だけをするようにします。

最初はまだまだ強迫観念に苛まれることでしょう。どうしても、
何度も確認したくなってしまうかもしれませんが、ここで確認強迫をすると、
いつまで経っても、強迫観念はそのままですし、強迫観念がそのままならば、
確認強迫も治らないのです。ですので、新しい思考に基づいて、
1回だけ確認をするようにします。

玄関の鍵を1回だけ確認するだけですと、最初の頃は、
当然強迫観念に頭が苛まれますが、ガスの元栓の時と同様に、
強迫観念に苦しめられても、それはそのままにしつつ、
そのまま出かけてしまいましょう。そうして、時間が経過すれば、
強迫観念は確認強迫をしなくてもちゃんと消えていきます。

そうした経験を何度も積み重ねますと、
「1回だけ確認すれば、鍵がちゃんとかかっていることが分かるのだ」
と実感出来るようになっていきます。
そして、強迫観念は徐々に弱まっていきます。新しい思考に基づいて、
行動することによって、新しい思考が自分の頭に定着するからです。

このように、強迫観念に対抗出来る、より正しく、より論理的な思考を採用し、
それを基準にして行動していけば、強迫観念は消えていき、
新しい思考に基づいて生きていけるようになるため、
もはや確認強迫をする必要がなくなり、1回の確認のみで、
玄関の鍵の確認を終わらせることが出来るようになるのです。




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2014年1月13日月曜日

ガスと玄関の確認強迫8-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)2-治療編
において説明した、強迫観念に反論をする方法によって、
十数分まで減らすことが出来た、確認強迫の時間をさらに減らし、
1度の確認だけで、確認を終わらせるようにするため、
さらに強迫観念に対する有効な反論を考える必要がありました。

そもそも、強迫観念が発生するのは、自分が大事だと思っているものへの、
過度の心配があるからです。たとえば、玄関の鍵に関する強迫観念の、
「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」というものも、
泥棒に自分の財産などの貴重な物が奪われることを極度に恐れるから、
発生するものであると考えました。

そこでさらに考えてみたのです。大事な物が、自分にとって、
そこまで大事なものであるのだろうかと。
当時中学生だった僕が大事にしていたものは、数千円の全財産と、
ゲーム機やゲームソフトでした。また親の財産もまた大事でした。
そうした大事なものを実際に思い浮かべてみたのです。

なるほど確かに自分や親の財産は大事なものです。
ですが、考えてみると、財産が奪われても、また稼げばいいことに気付きます。
親兄弟が殺されるような取り返しのつかないものではなく、
財産というのはまた稼いで貯め込めばよいわけで、
取り返しがつかないものではなく、取り返せるものだと気付きました。
そうであるならば、もし泥棒に奪われても、そこまでのダメージはありません。

このように考えていった結果、玄関の鍵に関する強迫観念の、
「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」というものに対して、
これまで考えてきた反論を全て合わせ、それを新たに強迫観念に置き換えて、
自分の頭に定着させれば、強迫観念を消すことも出来、
確認強迫に陥らず、1度の確認だけで済ませることが出来ると考えました。
これまで考えてきた反論を全て繋ぎ合わせ、一つの考えにすると以下のようになります。


「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」
     ↓
「鍵をかけられなくても、泥棒が入る確率はせいぜい100分の1以下である。
 それならば、鍵をかけられなくても、泥棒に入られることはまずないだろう。

 もし仮に泥棒が侵入し、我が家を物色したとしても、見付けるのが困難な場所に、
 財産などを保管し、さらにはそこにも鍵をかけているのだから、
 泥棒に財産を奪われる確率は100分の1という確率よりもさらに低くなる。

 そもそも、我が家の全財産を奪われたとしても、財産は取り返しのつくものである。
 家族の命を奪われるわけでもないのだから、そこまで心配しなくともよい」

というように、強迫観念に対する反論であり、返答であるこうした考えを、
自分の頭に定着させれば、強迫観念は一切の力を失い、その結果、
確認強迫もなくなり、1度の確認で玄関の鍵をかけ、
出掛けられるようになるだろうと、当時の僕は結論付けたのです。

出掛けようとして玄関の鍵をしめた時に、いつもの強迫観念が発生します。
その時に、上に書いた自分の考えによって、強迫観念に反論し、
それを強く念じるのです。そうすることで、確認強迫は十数分から、
数分の所要時間で終わらせるようなことが出来ました。
まだ確認強迫は続いています。

なぜか。それは強迫観念がまだまだ自分の頭の中で力を持っているからです。
強迫観念というものは、それまで生きてきた中で培い、それによって、
生き方を決めてきた自分の考え方と深く結びついているものです。
ですので、すぐに強迫観念を消し、新しい考えを自分の中に置き換えることは、
無理だと悟りました。

そこで、残り数分の確認強迫を1度の確認のみにするために、
確認強迫を生み出してきた強迫観念を消してしまうため、
自分が考えた新しい思考を頭に定着させるための方法を行うことにしました。
その方法について、次回で説明していくことにします。




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2014年1月12日日曜日

ガスと玄関の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)2-治療編
では、玄関の鍵についての強迫観念を消すことで確認強迫を治すため、
どのような観念を自分の頭に定着させるかを検討してきました。
今回はその続きを説明していくことにします。

前回、玄関の鍵の確認強迫を生み出している強迫観念の、
「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」
というものに対抗する観念として、
「もし鍵がかかっていなくて、泥棒に入られたとしても、
お金などの大事なものは厳重に保管しているから盗まれることはない」
というものを頭に思い浮かべたところ、多少、確認強迫が弱まりました。

しかしながら、確認強迫は、まだまだ数十分続いていましたので、
これを治すためには、強迫観念に対する有効な反論を用意する必要があります。

そこで次に目を付けたのが、
「泥棒に入られるのではないか?」という部分です。
疑問形になっていますが、僕自身としては、
「鍵がかかっていなかったら、必ず泥棒に入られる!」というように、
必ず泥棒に入られると断定していました。そうした強過ぎる危機感があったのです。

しかし、改めて考えてみますと、鍵をかけ忘れる=泥棒の侵入となれば、
泥棒に入られた家がもっと多くないとおかしいのです。
僕の家でも、僕が学校にいる時に、親が普通に鍵をかけずに、
出掛けることがあります。しかし、その時、泥棒に入られていませんでした。

そのようなことを考えると、鍵をかけ忘れる=泥棒の侵入という図式は、
誤りであると認識出来たのです。
鍵をかけずに出かけ、家に誰もいない状態であっても、泥棒が入る確率なんて、
せいぜい100分の1以下だろうと考えるようになりました。

必ず泥棒に入られると思っているのと、
鍵がかかっていない無人の家であっても、せいぜし100分の1以下の確立で、
泥棒に入られる程度だろうと思っているのとでは、
泥棒に対する危機感に大きな違いが出てきます。
当然、後者のように考えている方が、危機感は相当弱まります。

泥棒に対する危機感が弱まると、当然ながら、確認強迫を生み出す、
「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」という、
強迫観念もその力の大部分を失ってきます。
以前はものすごい説得力があった、この観念が、
そこまでの説得力を持たなくなってくるのです。

その結果、確認強迫もさらに弱まり、数十分行っていたのが、
十数分程度の確認強迫で済むようになってきました。
確認強迫も十数分で終わると気楽になってきます。
確認強迫は精神の疲労とストレスに繋がりますが、確認強迫が早く終わり、
そうした悪影響がなくなってきました。単純に十数分で出掛けられるので楽です。

しかし、ここまで来たなら、いっそのこと、
「確認強迫を一切しなくても、平気で外出出来るようになろう!」
と決意し、さらに強迫観念の力を失わせるための反論を考えるのです。
そして、最後に考え付いた、その反論について、
次回で説明していくことにします。




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2014年1月11日土曜日

ガスと玄関の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)2-治療編
で書いたように、ここからは玄関の鍵に関する確認強迫と強迫観念を、
治療して克服し完治させた方法について説明していくことにします。

まず玄関の鍵に関する、強迫観念について考えてみます。
「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」というのが、
この場合の強迫観念でした。これは強迫性障害じゃない人も恐れることですが、
精神の健康な人の場合、鍵をかけた後、こうした観念がずっと頭の中に、
渦巻くということはありません。

こうした心配が極度に過剰なのが強迫性障害たる所以なのです。
ですので、精神の健康な人が心配する程度の観念にするために、
強迫観念のように何度も続き、極度の不安を感じさせるものから、
ちょっとだけの人並みの心配にまで是正する必要があります。

そこでまず考えたのです。昔は田舎の家ですと、
出掛ける時、玄関の鍵をかけずに平気で、家を空けていました。
田舎では誰も泥棒などしないという、近隣住民に対する信頼があったからです。
また、非当事者意識とでも言いましょうか。
「自分の家には泥棒なんて入らない。あれはテレビの中だけのことだから」
というように、田舎に泥棒が出没することを、非現実的なことと考えていました。

もし、このような他者への絶対的な信頼や、非当事者意識が、
強迫観念に悩まされる人の頭に生まれたならば、たとえ強迫観念が出てきても、
「ないない、泥棒なんてこんなとこにいないから(笑)」と、笑うだけで済みます。
「鍵をかけなくても、泥棒は入ってこない」という考えが彼らにはあるからです。
これを強迫性障害の人が心から実感出来れば、強迫観念は確実に消滅します。

しかし、悲しいことに現代日本では、どこにでも泥棒が出没しますので、
今の時代では、「鍵をかけなくても、泥棒は入ってこない」と思い込めません。
そうした考えの反証が現代ではあまりに多すぎるので、無邪気にそう思うことなど、
出来なくなってしまいましたので、昔の田舎の人のような考えを定着させて、
強迫観念を消すのは、もはや現代では無理だと判断しました。

次に考えたのが、以下の考えです。
「もし鍵がかかっていなくて、泥棒に入られたとしても、
お金などの大事なものは厳重に保管しているから盗まれることはない」
と考えました。お金などを手の込んだ場所に隠し、
さらに隠し場所を見付けても、そこにも鍵がかかっているくらいの厳重さで、
お金などを保管しておくことにするのです。

そのようにすることで、「玄関の鍵をかけ忘れ、泥棒に入られてしまっても、
泥棒は何も盗めないのだから、玄関の鍵をかけておくにこしたことはないけども、
鍵をかけてなくても盗まれないから大丈夫だ」と考えるようにしてみました。
そもそも鍵をかけられなくて泥棒に入られることを極度に恐れるのは、
「泥棒に家に侵入されたら、大事なものを盗まれるに違いない」からです。

大事な物を大事に思うことは当然ですけども、それも度が過ぎると、
大事な物を失うことを極度に恐れてしまい、家から一歩も出ずに、
それを守り続けてみたり、玄関の鍵の強迫観念が生まれたりします。
でも、大事な物をしっかり守っているのならば、玄関の鍵がかかっていようが、
かかっていまいが、それなりに安心して出掛けられます。

このように考えることで、強迫観念がちょっとだけ和らぎました。
ほんのちょっとのことですけども、このことによって、
確認強迫も1時間前後から数十分で終わらせることが出来るようになりました。
ですが、「凄腕の泥棒なら盗まれるんじゃないか?」という強迫観念が新たに芽生え、
それ以上に強迫観念を和らげ、確認強迫を行わないようには出来ませんでした。

「これでは、まだ駄目だ」と思い、さらに強迫観念を消すために、
自分に定着させる考えを求め、さらにあれこれと考え続けて出した結論を、
次回で説明していくことにします。




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2014年1月10日金曜日

ガスと玄関の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)2-症状編
で書いたように、玄関の鍵に関する確認強迫も経験しました。
出掛ける際、玄関を出てから鍵をかけますし、鍵がかかっているかどうかを、
確かに確認したのです。頭では「鍵がちゃんとかかっている」と、
しっかりと理解しているのです。
しかし、その時、僕の頭に次々と強迫観念が思い浮かんでくるのです。

「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」と、
そうした強迫観念が頭を苛むのです。
時には家に泥棒が入られた情景が思い浮かんでみたり、
帰宅して自分の部屋が荒らされている情景がやはり思い浮かんできたりと、
強迫観念が際限なく、襲い掛かってきます。

そうした強迫観念によって、極度に不安になった僕は、
鍵がかかっているかどうかの確認強迫をして、不安を解消しようとするのです。

強迫観念によって生まれる不安が極度に強いために、
鍵がかかっていることが頭で分かっていても、何度確認したとしても、
鍵がかかっているのが当たり前だと認識しているにも関わらず、
自分の行為が馬鹿馬鹿しいと思いつつも、強迫観念は止まらず、
強迫観念によって生まれる極度の不安も解消されず、確認し続けてしまうのです。

むしろ、確認強迫で確認を繰り返せば繰り返すほどに、
だんだんと意識が朦朧としてきたり、目で見ている鍵や錠前の存在が、
おぼろげになってきて、それが何を意味しているのか分からなくなってきたりします。
そのような状態になってくると、自分の確認に確信を持てなくなるので、
さらに強迫行為に拍車がかかってしまい、さらに多くの時間を、
確認強迫に費やすことになり、精神的な疲労が激しくなり、うつ状態にもなります。

このように強迫性障害の確認強迫は、いいことなど、
何一つないほどに酷い症状ですし、うつ状態になる危険性も高いですので、
なんとかこれを治さねばと思い、その治療のために、
手探りでその方法をあれこれと考えて、実際に行動して試してみて、
その結果を分析し、よりよい方法を模索し、また実行に移すという、
地道な作業の繰り返しによって、ようやく治す方法を見付けました。

そして、すっかり完治したのです。
次回からは、玄関の鍵の強迫観念と確認強迫に対して、
有効だった治療法について、説明していくことにします。




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2014年1月9日木曜日

ガスと玄関の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)2-治療編
までに書いてきたように、確認強迫は、
確認を1度だけして、それ以降は強迫観念に苛まれ続けても、
それはそのままにしておいて、それを解消するための強迫行為をせず、
何もしないでいるか、遊びや人との会話などに夢中になっていれば、
時間が経過していくごとに強迫観念が弱まり、ついには消えてしまいます。

確認強迫を治すには、基本的には以下のような手順がよいようです。


1.確認強迫をを生み出す、強迫観念を言語化してみる。

2.そうして言語化した強迫観念を吟味して、
  不条理な点がないか、非論理的な点がないかを探る。

3.そうした点が見付かったら、強迫観念の不条理な点、
  非論理的な点を批判し、より論理的に正しい考えを思い浮かべ、
  その考えを自分に言い聞かせる。

4.その上で、強迫観念が発生したら、確認強迫を一切しないようにする。

5.確認は1度だけにし、その後、どのように過ごしてもいいので、
  時間が経過するのを待つ。

6.時間の経過とともに、強迫観念は自然と弱まっていき、
  ついには何の力も持たなくなるので、確認強迫をしなくても済む。

7.強迫観念が発生したら、その都度1から6までの過程を、
  何度か経験すれば、強迫観念自体が、それ以降発生しないようになり、
  その後の人生で確認強迫をしなくても済むようになる。


といった感じですと、大抵の確認強迫は治ることと思います。

こうした方法で確認強迫を一つずつ治していきますと、
だんだんと治し方のコツが身に付いてきますので、
たとえば、ガスの元栓の確認強迫と強迫観念を克服したら、
玄関の鍵の確認強迫と強迫観念にも、上記の方法を応用して、
治療することが可能となってきます。

ただ、症状別に上記の方法の応用やアレンジが必要となってきますので、
それについては臨機応変さが求められるかもしれません。
ですので、このブログでは、今後も症状別の治し方について、
微妙に変わってくる、その治す方法について説明していくことにします。
次回からは玄関の鍵の確認強迫の治療法について説明します。




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2014年1月8日水曜日

ガスと玄関の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)2-治療編
では、僕がガスの元栓に関する強迫観念と確認強迫を、
克服した方法を説明しました。
その方法を書いていて感じたのです。当時は高校生だったので、
子供が考えることですから、やり方が面倒くさいと感じたのです。
今、改めて考えると、もう少し、精神的な負担が少ないやり方が、
思い付きましたので、今回はそれを説明していくことにします。

基本的には前回書いたように、
ガスの元栓を締めた後、締まっているかどうかを1度だけ確認します。
この後、よくよく考えたら、別に台所にずっといなくても、
特に問題がないことに気付きましたよ。

ずっと台所にいると、その間、強力な強迫観念と、
一対一で直面しなければなりませんが、
それに耐えるのはかなり骨が折れることですよね。
大抵、強迫観念に負けてしまい、ガスの元栓の確認強迫が始まることでしょう。
ですので、台所ではなく、自分の部屋で何かをしているのが一番です。

自分の部屋にいても、当然、強烈な強迫観念に苛まれますが、
自分の部屋の中でしたら、遊びでも勉強でもなんでも、
やれることがいっぱいありますよね。
強迫観念は時間の経過とともに、弱まっていくようになっていますので、
時間を経過させさえすればよいのです。

ですので、まずは強迫観念で頭の中がいっぱいになっていても、
強迫観念を消そうなどというように、強迫観念に対抗しようとはせず、
強迫観念が頭の中に存在していても、その存在を受け入れます。
受け入れた上で、頭の中に勝手に浮かび上がり続ける強迫観念を、
何も手を加えずに、ほったらかしにしておくのです。

そうした上で、比較的単純で簡単で、なおかつ中毒性のある、
たとえば、テトリスとかぷよぷよとか、サッカーなどのスポーツ物とかの、
ゲームで遊んでみたりするのです。
ゲームじゃなければ、強迫観念がない時に、いつも夢中になって、
読んでしまう本があったら、そうした本を読むのもよいでしょう。

なんなら、友達や恋人を家に呼んで、自分の部屋で、
友達や恋人とあれこれ話をしたり、一緒に遊んでいてもいいと思います。
とにもかくにも、ガスの元栓を1度確認したら、
趣味でも友達でも、なんでもいいので助けてもらって、
強迫観念が頭の中に浮かび続けていたとしても、それはそのままにしつつ、
時間を経過させたならば、それで強迫観念はおさまります。

そのようにして強迫観念がおさまる経験を何度も積み重ねれば、
ガスの元栓に関する強迫観念は、その後は出てこなくなります。
僕の場合、この20年ほど、ガスの元栓に関する強迫観念は、
一切出ないようになりました。このように治りますので、
気が向いたら、チャレンジしてみてくださいね(^-^)




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2014年1月7日火曜日

ガスと玄関の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)2-治療編
で書いたように、ガスの元栓に関する確認強迫を、
いかにして、やめようとしたのかについて説明していきます。

とにもかくにも、ガスの元栓に関する確認強迫をせず、
元栓が締まっているかどうかの確認は、1度だけにします。
当然、そのようにすると、強迫観念に苛まれ、極度の不安に陥ることになります。
ただ、そこで確認強迫をすれば、元の木阿弥ですので、
必死に確認強迫をしないようにします。

そして、まず、自分の1度の確認の結果、
ガスの元栓が締まっていることを認識したのなら、
それを自分に言い聞かせます。1度か2度で充分です。
「ガスの元栓はちゃんと締まっていた」と言い聞かせるのです。
頭では分かっているこのことを、再度自覚するために言い聞かせます。

そして、この頭では分かっている、確認の結果の正しさを、
補強するような行為をしてみることにします。

かといって、元栓が締まっていることの証明のために、
たとえば、着火するかどうかをガスコンロのレバーを強火にして、
「それでも点火しないから、ガスの元栓は締まっているのだ」などとやると、
レバーをがちゃがちゃするという、新たな確認強迫になる恐れがあるので、
それはやめておくのが賢明です。僕はやりましたからね(笑)。

紆余曲折の結果、自分の確認の正しさを証明するために、
まず家に家族が誰もいない時間に、ガスの元栓を締め、
1度だけ確認してから、そのままずっと台所にいました。
自分以外の誰もガスの元栓に触れない状況下で、
数時間、台所にいて、そのままガスコンロを眺めていたのです。

ガスの元栓に関する強迫観念は、
「ガスの元栓が開いていたら、火事になるに違いない」というものでした。
ガスの元栓を確認し、頭では元栓が締まっていることは理解しています。
もし、確認したのとは違って、元栓が開いていたのなら、
目の前で火事になるだろうということで、ガスコンロを観察していたわけです。

当然、元栓は締まっていたのですから、点火することもありませんし、
ガスが漏れ出すこともありませんし、漏れ出したガスに火が引火して、
爆発するようなこともありません。
数時間かけて、こうした自分が恐れることが何も発生しないという経験をします。
数時間も経過すれば、強迫観念も弱まっていますので、
ガスの元栓を再度確認することはせず、部屋に戻ります。

こうした経験を何度か繰り返していますと、ガスの元栓に関する強迫観念の、
「ガスの元栓が開いていたら、火事になるに違いない」という考えが弱まります。
というのも、1度の確認でガスの元栓が締まっていることを、
台所でした経験を繰り返していく毎に、徐々にではありますが、
ガスの元栓が締まっていることが頭だけではなく、
実感として感情の上でも理解できるようになるからです。

「ガスの元栓が開いていたら」というのが、この強迫観念の前提条件なのですが、
自分の確認の正確性を頭でも感情でも理解し実感出来れば、
この強迫観念の大前提が見事に崩壊します。
大前提が消え去れば、その帰結である火事など起こるはずもないのです。

このように、自分の確認の正確性を実感出来さえすれば、
このガスの元栓に関する強迫観念は、何の力も持たなくなり、
それ以降、頭に浮かぶことがあっても、確認強迫などしなくてもよくなるのです。

と自分の経験を書いてきましたが、
このガスの元栓に関する強迫観念を消す方法や、
確認強迫をやめるための方法を、こうして書いていたら思いつきましたので、
次回は、その話をさせてもらうことにしましょう。




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2014年1月6日月曜日

ガスと玄関の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)2-症状編
で書いたように、ガスの元栓が締まっているかを調べる確認強迫と、
玄関の鍵がしまっているかを調べる確認強迫に悩まされ、
日常生活に著しい支障が出てきてしまったので、
これをなんとか治すことにしました。

まず確認強迫という症状が出てしまうのは、強迫観念があるからです。
ガスについての強迫観念は以下のようなものでした。

・ガスについての強迫観念
 「ガスの元栓が開いていたら、火事になるに違いない」

というものでした。この強迫観念がなくなれば、
ガスの元栓についての確認強迫もなくなるに違いないと考えました。
しかし、この強迫観念は、それほど不条理なものではありません。
多少、非論理的ではありますけども、用心するにこしたことはないのです。
本当に火事になったら財産も、場合によっては家族も失うのですから。

論理的におかしいのは、この強迫観念の、
「ガスの元栓が開いていたら、必ず火事になる」という、
「100%火事になるのだ!」という結論ですが、
先にも書いたように、用心するに越したことはないので、
この強迫観念の内容については直さなくてもよいと判断しました。

強迫観念そのものの内容は、それはそれでよかったのですが、
問題は酷い確認強迫ですので、強迫観念はひとまず置いておいて、
確認強迫をなんとかなくせないかと、試行錯誤するようになりました。
確認強迫というものは、何度確認しても、自分がしたその確認が、
ちゃんと出来ていないとしか思えないので、確認してしまう面があります。

何度確認しても、自分がした確認の答えを信じることが出来ないのです。
確認して、その結果大丈夫だったと頭では分かっていても、
感情がついていかないというのでしょうか。
確認して大丈夫だったとしても、極度の不安に陥り、また確認すると、
さらに大きな不安に苛まれてしまうという悪循環に陥るのです。

そうであるならば、これまで自分の確認が信じられなかったけども、
なんとか自分の確認の結果を信じてみようと思い至ったのです。
それほど問題のない内容の強迫観念によって、極度の不安になり、
確認をするわけですが、もし、自分の確認に自信が持てるのなら、
確認強迫にならず、1度の確認だけで終わらせることが出来る、
そう考えたのですね。

ガスの元栓について、強迫観念にどれだけ苛まれても、
その強迫観念によって、どれだけ不安になったとしても、
もう大丈夫だと分かっているのに、何度も確認し続けてしまう、
確認強迫をやめるために、自分が頭で認識した確認の正しさを、
頭で理解するだけではなく、感情でも気持でも確認の正しさを実感する。

そうすれば、確認強迫にならず、1度の確認だけで確認を済ませられ、
ガスの元栓については、何も気にせず、安心出来ます。
そのために僕がした、自分がした1度だけの確認の正確性を、
頭で理解し、同時に感情でも実感して、確認強迫に陥らず、
強迫観念も打ち破るための方法を、次回、説明していくことにします。




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2014年1月5日日曜日

ガスと玄関の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)2-症状編

出掛ける時には、当然、ガスの元栓を締めます。
火事になったら、困りますものね。
ガスの元栓を締めるのですが、強迫性障害ですから、
当然、締めたことを頭では分かっていても、
「ちゃんと締められただろうか? 締まっているだろうか?」
という強迫観念に苛まれることになります。

強迫観念がずっと頭に思い浮かび続けるので、
ガスの元栓を締めたことは頭では分かっているのですが、
強迫観念からの強力な不安で居ても立っても居られなくなり、
再度、確認します。再度というか、100回以上確認します。

1時間ほど確認し続け、「これだけ確認したのなら、
たぶん大丈夫なんじゃないか?」と無理矢理自分を納得させようとしても、
それでも「ちゃんと元栓を締めたのだ」と納得も実感も出来ません。
出来ないのですが出掛けなきゃなりませんので、
後ろ髪を引かれつつ、元栓から離れ玄関に向かうのです。

玄関で靴を履き、外に出て、玄関に鍵をかけるのですが、
強迫性障害ですから、ちゃんと鍵をかけられたという実感が得られません。
「鍵がかかっていなかったら、どうしよう!?」という強迫観念が、
非常に強力に大きく頭の中を占めることになるので、
極度の不安に陥り、玄関の戸が開かないかとガタガタと開けようとします。

玄関の戸をガタガタと開けようとして、玄関が開かないということは、
鍵がかかっている証拠なのだと認識するための、
確認強迫をすること1時間余り。ようやく強迫観念が少しだけ弱くなったので、
鍵がかかっているのかどうかと不安に感じて、後ろ髪を引かれつつも、
無理矢理出掛けるのです。

このようなガスの元栓と玄関の鍵についての強迫観念と、
そこからの極度の不安と、それを解消する確認強迫によって、
強迫性障害の頃の僕は、ちょっと家を出るだけなのに、
2時間から3時間ほど、かかっていたのです。
歩いて5分の自販機にジュースを買いに行くだけでも、3時間かかる始末!

ちょっと出掛けるだけでも、このように時間がかかってしまいます。
中学生時代はそれで遅刻して2時間目から悠々と登校していましたが、
高校の頃になると、家を出るというただそれだけのことで、
2時間から3時間かかるので、もう外に出掛ける気力もなくなり、
学校にもほとんど行けなくなってしまいました。

「これは流石にまずい!」と思ったので、
このガスの元栓と玄関についての強迫観念と、
それを解消するための確認強迫という、強迫性障害の症状を、
治そうと決意した僕なのです。
その方法を治療編で書いていくことにします。




ガスと玄関の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫8-確認強迫(強迫性障害)2-治療編

ガスと玄関の確認強迫9-確認強迫(強迫性障害)2-治療編




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2014年1月4日土曜日

お金の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)1-治療編

そもそも、お金の確認強迫という症状が出るのは、
「お金を落としたのでは?」とか「お金が盗まれたのでは?」とかのように、
所持金が失われたのではという強迫観念が発生するからです。
仮に財布を道端に落として、その財布を数日後に発見した場合、
財布の中身を確認するのは当然の行為だと思うのです。

しかし、ここで問題とする強迫観念の場合ですと、
自室に1時間ずっといて、財布が手元にあった場合であっても、
「お金が盗まれたのでは?」という強迫観念が頭から離れない、
といった症状となります。
さすがに、このような状況下でお金が盗まれることはないでしょう。

それでも、強迫性障害になると、強迫観念に苛まれるのです。
「お金が手元にあって、自分以外の誰かが財布に触れていない。
でも、盗まれたかもしれない!」というような強迫観念。
文章にしてみると実に不条理ですし、自分でも不条理と自覚していますが、
それでも、その強迫観念からの不安が拭えないので確認強迫をします。

この場合、まず強迫観念が不条理であることを自覚するだけではなく、
この強迫観念のどこが不条理なのか、非現実的なのかを、
しっかりと頭に思い浮かべ、より現実的な思考を自覚する必要があります。
今回の場合ですと、以下のようになります。

「お金が誰かに盗まれたのでは!?」
     ↓
「自分以外、誰も自室に入って来ていなくて、
誰かが財布に触れた可能性は皆無なのだから、お金は盗まれていない」

というように、頭の中に自然に発生する強迫観念の、おかしなところ、
不条理なところ、非論理的、非現実的なところについて、しっかりと否定し、
論理的、現実的な解答をしっかりと思い浮かべ、自分の頭に刻み付けてください。
そうすることで、強迫観念がおかしいことを自覚し、また、そのような、
おかしな観念が思い浮かぶのは、全て病気のせいなのだと自覚します。

その上で、これまで書いてきたように、強迫観念が思い浮かんだとしても、
それを解消するための確認強迫はせず、1度の確認だけして、
その後、いくら強迫観念が頭の中を蠢いていても、もう確認はしないのです。
そうして、あとはこれまで書いてきたような方法を用いて、
強迫観念をそのままにしておけば、一定の時間の経過後に、
強迫観念は消えてしまうのです。

もちろん、こうした過程を1度経ただけでは、この件についての強迫観念は、
消えることはありませんが、何度もここまで書いてきた過程を経たならば、
ちゃんと強迫観念は消え、そして強迫観念が消えれば、
確認強迫をしなくてもよくなりますので、皆様も是非チャレンジしてみてください(^-^)




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2014年1月3日金曜日

お金の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)1-治療編

前回の「お金の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)1-治療編」では、
強迫観念に苛まれた時、確認を1度だけ行い、
それ以降はたとえ強力な強迫観念に苛まれても、
確認行為は行わず、強迫観念が消え去るまで時間を経過させることで、
強迫観念及び確認強迫を治せることをお話ししました。

確認を1度だけにしますと、強迫性障害の方の場合、
その1度の確認だけでは、強迫観念は消えませんが、
時間が経過することで強迫観念はいずれ消えるのですが、
頭の中に強迫観念がずっとあるままで時間の経過を待つのは非常に辛いので、
少しでも楽に時間を経過させるための方法があることも話しました。

1.ゲームをしてみる。
2.部屋の大掃除をしてみる。
3.財布を持たずに散歩に出かけてみる。
4.財布を持たずに友達と数時間遊んでみる。
5.財布を持たずに親戚の家にお泊りしてみる。
6.とりあえず眠ってみる。

のような方法があります。1と2については前回説明しましたので、
今回は3から説明していくことにします。

3~5の「財布を持たずに~」というものですが、
お金に関する強迫観念と強迫行為の場合、財布が身近にありますと、
どうしても強力な強迫観念を解消するために、
財布の中のお金を数えるという確認強迫を行ってしまいます。
であるならば、自分を物理的に財布から遠ざければよいのです。

そうすれば、たとえ強力な強迫観念に苛まれたとしても、
それを解消するための確認強迫が出来なくなります。
そうして確認強迫をせずに、強迫観念を感じつつも時間の経過を待てば、
強迫観念は次第に弱まっていき、ついには消えてしまいます。
強迫観念が強い人に、おすすめの方法です。

最後の6は、強迫観念を感じつつも、起きていると、
どうしても強迫行為をしてしまうのなら、
もういっそのこと眠ってしまえばいいということです。
確認を1度だけしたら、すぐに布団の中に入り、強迫観念に耐えつつ、
目をつぶって耐え続けていれば、そのうち眠れます。
起きた時には強迫観念がおさまっていることが多いようです。

1~6まで説明しましたが、こうした方法を用いれば、
何の対策もないまま、ただひたすら強迫観念に耐えるよりも、
多少は強迫観念が消えるまで、時間を経過させることが出来ます。
他にもいろいろな方法があるでしょうから、自分に合う方法を色々考えてみて、
是非、挑戦してみてください(^-^)


続きはこちらです。
お金の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)1-治療編




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2014年1月2日木曜日

お金の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)1-治療編

お金の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)1-治療編」で、
お金の確認を1度だけにして、たとえどれだけ強力な強迫観念があっても、
それを解消するための確認強迫をしないようにする必要があることを話しました。
いきなり1度にするのが難しいなら、50回確認する人なら、それをまずは10度にし、
そこから、1度ずつ減らしていき、最後に1度にするとよいかと思います。

そうして、確認を1度だけにして、それでお金の確認が済めばよいのですが、
お金の数をいくら数えても、「盗まれたのではないか?」とか、
「落としたのではないか?」とかの強迫観念に苛まれるのは確実です。

しかし、そこで確認強迫をしますと、強迫性障害は治りませんので、
強迫行為はもうせず、強迫観念が消え去るまで時間を経過させる必要があります。
そこで問題となるのが、いかに強力な強迫観念に耐えつつ、
または強迫観念と直接対峙せずにスルーしつつ、強迫観念が自ずと消え去るまで、
時間を経過させるかということです。以下に、有効だった方法を記しましょう。


1.ゲームをしてみる。
2.部屋の大掃除をしてみる。
3.財布を持たずに散歩に出かけてみる。
4.財布を持たずに友達と数時間遊んでみる。
5.財布を持たずに親戚の家にお泊りしてみる。
6.とりあえず眠ってみる。


1から説明していきましょう。ゲームが好きな人は、
確認を1度だけした後、たとえ強力な強迫観念に苛まれていたとしても、
無理にでもゲームをしてみるとよいかもしれません。
ゲームにもいろいろとありますが、やるなら遊びなれたゲームで、
普段、ついつい夢中になって遊んでしまうゲームがよいでしょう。

ゲームのやり始めは、当然、強迫観念で頭がいっぱいで辛いのです。
しかし、それでもゲームをやり続けていると、次第に脳内の強迫観念の比率と、
ゲームの比率が変わってきます。最初、頭の中が強迫観念のみだったのが、
徐々にゲームにも意識が向くようになり、さらにゲームを続けていくと、
脳内の強迫観念とゲームの比率が同程度になっていきます。

そうなりますと、ゲームに徐々に没頭出来るようになってきます。
ゲームで長時間遊んでいると、その時間の経過と反比例するように、
強迫観念は自然と弱まっていきますので、ひたすらゲームを続けましょう。
そうして強迫観念の力が弱まれば、またしばらく強迫観念は発生しないので、
ゲームを止めて、またいつもの日常に戻ればよいのです。

次に2です。お金の確認を1度したら、すぐに掃除に取り掛かりましょう。
最初は強力な強迫観念で頭がいっぱいで辛いことと思いますが、
それでもひたすら掃除をするのです。どうしても強迫観念に意識が向くことでしょう。
そのような場合は、掃除をしつつ、掃除の仕方を必死になって考え続けてみましょう。
「次はあそこを掃除して、あそこは拭き掃除をして」などと考えることを無理矢理します。

そうして掃除をし続けていますと、時間の経過とともに、
強迫観念が徐々に弱まっていきます。強迫観念が自分にとって脅威ではなくなるまで、
そのままひたすら掃除を続けていきます。そして強迫観念がおさまったら、
また、いつもの日常に戻り、生活していきましょう。

3以降の方法については、次回に説明することにします。



続きはこちらです。
お金の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)1-治療編




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2014年1月1日水曜日

お金の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)1-治療編

前回の「お金の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)1-治療編 」では、
確認強迫の数を減らすために、一定の数を決めて確認行為をすることで、
確認強迫を終わらせる習慣を作ると、その一定の数の確認行為をしなければ、
確認行為をやめられなくなると述べました。
強迫行為が儀式行為に変化してしまうのです。

たとえば、毎回、50回と決めて強迫行為をし、
それを以て、自分が正確に確認が出来たと自分自身に保証するようになると、
「50回強迫行為をしなければ、確認は正しくないに違いない」というような観念が、
生まれる危険性があります。その場合、儀式行為と呼ばれる症状になるだけです。
違った症状になるだけで、強迫性障害が治らないままになってしまいます。

ですので、確認強迫を治そうと考える場合ですと、
当然、治すためには強迫行為の数を減らさなければなりません。
ですので、理想的なのは1度の確認のみしかしないことです。

いきなり1度で終わらせるのが無理だとしても、少なくとも、
今までより少ない強迫行為で済ませ、徐々に減らしていき、
1度の強迫行為で終わらせることを目指すのがよいことと思います。

さて、確認強迫はなんらかの強迫観念が考えたくもないのに、
勝手に頭に浮かび上がってくるため、その強迫観念を消すために行われるものです。
僕の場合、お金の数を確認するのは、「お金を落としたのではないか?」とか、
「お金を盗まれたのではないか?」といった強迫観念が頭を渦巻くので、
お金の数を数えるという確認強迫をして、この辛い強迫観念を消そうとするためでした。

強烈な強迫観念に苛まれている時は、確認を1度したとしても、
その強迫観念を払拭できません。でも大事なのは確認を1度だけしたら、
それで強迫観念が全然消えなかったとしても、2度と確認をしないことです。

と言いますのも、人間というのは、行動と思考と感情が密接に関わり合っていますので、
行動を変えて、ずっと同じ行動を繰り返していたら、思考も変化していくのです。

確認強迫を数十回、数百回としていれば、自分の確認という行為を、
どんどん信用できなくなっていき、自分が物事を確認する能力に自信を失い、
強迫観念を払拭するための確認行為をする回数が飛躍的に増えていきます。

その逆に、どれだけ強烈な強迫観念に苛まれ続けていて、
1度の確認行為でそれを払拭出来ず、確認行為後も強迫観念に苦しめられたとしても、
確認行為を1度だけで済ませ続ければ、
だんだんと強迫観念という勝手に浮かび上がってくる思考も、
1度だけの確認行為という行動に合わせて変化していきます。

「お金を落としたのではないか?」という強迫観念は1度の確認では解消出来ない、
という、強迫観念そのものの内容と、確認行為の精度に対する自信の無さが払拭され、
1度の確認行為だけで、「お金は落としてもいないし、盗まれてもいない!」と実感出来て、
強迫観念もそれに伴う不安も払拭出来るようになるのです。

大事なのは確認行為は1度だけしかしないということ。
その結果、どれだけ強迫観念に苛まれていても、
その強迫観念から生まれる、極度の不安に苛まれたとしても、
最初の1度以降は、確認行為をしないことなのです。
そうすれば、みるみるうちに強迫観念も不安もなくなっていきます。

強迫観念も、それから生まれる不安も、
強迫行為をしないと、最初は相当に強烈に自分を苛むのですが、
そのまま強迫行為をしないまま、耐え続けていけば、
時間の経過のうちに、自然と弱まっていき、いずえは消えてしまうので、
それを信じて耐え続けていけばよいのです。

次回は1度の強迫行為をした後の、相当に強烈な強迫観念や不安が、
時間の経過によって消えてしまうまで、
いかにして耐え続けるか、いかにしてやり過ごすのかについて、
記していくことにします。


続きはこちらです。
お金の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)1-治療編



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