2014年2月22日土曜日

針の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)7-症状編

僕がまだ幼い頃、誰かに聞きました。
「針が刺さって体内に入ると、体内に入った針が、
いずれは心臓に到達し、そして死ぬんだよ」と。
幼い頃でしたので、そんなことはないだろうと思いつつも、
同時にちょっと信じてしまい、怖くなってしまったのを憶えています。

そんなことをすっかり忘れた中学生の頃、僕は強迫性障害になりました。
強迫性障害のいろんな症状に悩まされつつも、なんとか生活していました。
そんなある日。唐突に頭の中に、浮かんできたのです。
「針が刺さって体内に入ると、体内に入った針が、
いずれは心臓に到達し、そして死ぬんだよ」という言葉が。

一笑に付せればよかったのですが、恐ろしいことに、
これが強迫観念になって、頭から離れなくなってしまったのです。
当時の僕はまだ生きることに執着していたのでしょう。
死ぬと思うと怖くなってしまいました。
そして、針が落ちていないかを畳を見て確認するようになったのです。

なぜ、畳の上なのかと言いますと、
僕の家では裁縫道具は畳の部屋の押し入れにあったので、
それで「畳の上に針が落ちているんじゃないか」との強迫観念が発生し、
畳の部屋に足を踏み入れる時は、毎回、畳の上を全て見回して、
針が落ちていないかの確認をしていたというわけなのです。

悪いことに、当は、畳の部屋に自分の机があったので、
毎日畳の部屋に入らなければなりませんでした。
ですので、中学から帰宅した後、毎日、畳の上を確認していました。
目で見れば針が落ちているかどうかの確認が出来ていた頃は、
まだよかったのですが、すぐに悪化します。

すぐに目で見ただけでは針が無いと実感出来なくなり、
目で見ながら、畳全体を手で触れることで針の有無を、
確認するようになってしまいました。
このようになると、確認に酷く時間がかかるようになります。
それで確認強迫が辛くなり、畳の部屋に入れなくなりました。

その後、数か月経過したら自然に少しよくなりました。
畳の上を手で確認せずとも、再び目で見るだけで畳の上に乗れて、
畳の部屋に入れるようになったのです。
ですが、残念なことに足を踏み入れることは出来たものの、
今度は畳の上で座ることが出来なくなってしまいました。

ですので、僕はその部屋や家族が集まる部屋では、
常に一人立ちっぱなしで生活していたのです。
これは、体力的にも精神的にも結構きつい!と思うようになったので、
この針の強迫観念と確認強迫を治すことにしました。
その時に考えた治療法を治療編で説明していくことにします。


針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編


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2014年2月11日火曜日

セーブの確認強迫-確認強迫(強迫性障害)6-症状と治療編

最近のゲームはデータを記録して電源を切っておけば、
次に遊ぶ時に記録した時の状態から遊ぶことが出来ます。
このように記録することをセーブと言います。
ドラクエですとドラクエ3から搭載されたこの機能はとても便利ですよね。
ドラクエでは神父さんに話して祈るとセーブが出来ます。

あれはドラクエ6だったでしょうか。
ゲームをやめようということで、「その前にセーブだ!」と、
教会の神父さんに話しかけて祈り、セーブしたのです。
その時、突然、ある考えが思い浮かんだのです。
それは「これで本当にセーブが出来たのだろうか?」というものでした。

これが強迫観念となり、頭の中をぐるぐる回り出したので、
ついつい確認強迫をしてしまいます。
セーブが出来たかどうかを確認するなら、電源を切り、再度電源を入れ、
ロードしてみればよいのですが、そうしますと、もしセーブ出来ていないと、
またゲームを最初からやり直すことになるので、それは辛いのです。

そこで考えましたよ! もう一度、神父さんに話しかけて祈って、
セーブすればよいのだと!
そして再度祈ってセーブしました。すると、不思議なものですね。
「これで本当にセーブが出来たのだろうか?」と、
また頭の中に思い浮かんできたのです。

何度祈っても同じ考えが思い浮かびます。強迫観念ですものね。
何度も何度も祈り続けます。1時間くらい、祈った時の音楽が、
ひっきりなしに鳴り続ける中、ひたすら祈っていたら、
いつの間にか力尽きて眠ってしまいました。
それ以降、ドラクエ6でのセーブに、長時間かかるようになったのです。

これは比較的軽い強迫行為でしたので、これを治療するための、
具体的な治療行為をしなくとも治りました。
何もしなかったわけではなく、このセーブの強迫行為ではなくて、
僕にとって、より重い別の確認強迫の症状を治療した結果、
ついでにこのセーブの強迫行為も治ってしまったのです。

たとえば、駅のホームにある時刻表の確認強迫があった場合で、
その上、さらに、電車の確認強迫があるとします。
電車の確認強迫というのは、「この電車は自分が乗るものなのか?」
との強迫観念を消すためのものです。確認しすぎて、乗るべき電車が、
僕をホームに残したまま走り去るような、そんな確認強迫です(笑)。

時刻表の確認強迫にしても、電車の確認強迫にしても、
なぜ、確認してしまうのかといえば、電車に乗って目的の駅に、
予定する時間に到着できるかどうかが不安だからです。
僕の場合、電車の確認強迫を治したら、特に手を付けていなかった、
時刻表の確認強迫も知らぬ間に治ってしまいました。

このように、関連する強迫観念を持つ確認強迫などの強迫行為は、
関連するいくつかの強迫観念のうちの一つを消すことに成功したならば、
関連する、より軽い強迫観念までも、治ることに繋がることがあるようなのです。
ですので電車のを治したら時刻表のも治ったというわけなのです。
強迫性障害の治療をしていて、このようなことを経験しました。

ドラクエのセーブの強迫観念と強迫行為も、電車関連の強迫観念が治ったのと同じで、
別の強迫観念と強迫行為を治したら、ついでにセーブのも治ったのですね。
残念なことに、ずいぶん昔のことなので、どのような強迫観念や行為を治したら、
セーブのが治ったのかは思い出せませんけども、
結果的に治ったのですから、それでよいのです。

もし現代の僕がセーブの確認強迫をするような症状が出たらですね。
携帯型のゲームをセーブして、それでも不安で仕方ないなら、
まずセーブし、そして、電源を切らずに、そのままスリープ状態にして、
充電コードに繋げておくことと思います。
据え置きゲーム機の場合でも同様にすることでしょう。

そうしておけば、電源を切っていないのですから、
セーブに成功していてもしていなくても、なんの問題もなく、
ゲームを続きから遊べるので、確認強迫をする必要がなくなるからです。
そうしてゲームの症状は放っておいて、もっと他の重い症状の治療に、
取り掛かることでしょう。

そうしていれば、いつの間にかセーブの確認強迫も治りますからね。
もっとも、セーブの確認強迫しか、強迫性障害の症状がなかったとしたら、
必死になって、この症状の治療をすることでしょうけどもね(^-^)




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2014年2月8日土曜日

新聞配達の確認強迫8-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で説明した方法のよいところは、強迫観念と極度の不安がありつつも、
なんとか日常生活を送れることにあります。
日常生活をいつも通りに送ることが、即治療に繋がるわけです。
そのような方法ですので、確認強迫をしないようになることと、
新聞配達を続けるということの両立が可能になったのです。

もう随分と昔の話ですので、新聞配達の確認強迫が治るまでの期間が、
どれほどのものであったのかは忘れてしまいましたが、
忘れてしまうのですから、そこまで長期間ではなかった筈ですし、
確認強迫をしていた時以上の苦しみは感じなかった筈です。

確認強迫をしても辛い。確認強迫をしなくても辛い。
同じように辛いのならば、確認強迫が治る可能性が高い、
確認強迫をしないという選択をするのが一番なのではないでしょうか。
これを読んでくださっている強迫性障害の皆様も、
是非、確認強迫をしない選択をしてくれることを願っています。

余談なのですが、この方法を思いついたのは、
過去の僕の様々な経験があったからなのです。
たとえば、18歳で禁煙していた時、喫煙衝動に苛まれて、
煙草を吸いたくて仕方がなかったのですが、ある時気付いたのです。
この喫煙衝動は、酷い時もあれば、喫煙衝動を全く感じることなく、
煙草のことをすっかり忘れてしまっている時もあることを。

では、どのような時に喫煙衝動を感じないのかと調べてみると、
大抵、ゲームや掃除などをしていて、
それに夢中になっているところにあることが分かったのです。
その時、さらに気付いたのは、この喫煙衝動は、
強迫性障害の強迫観念に似ているのではないかということです。

であるならば、今やっている禁煙のための方法を活用すれば、
確認強迫をしない時に発生する強迫観念を感じなくすることも、
可能ではないかと考えたのです。
そして、それは実際に可能だったというわけで、
新聞配達やその他多くの確認強迫と強迫観念の治療に役立ちました。

ちなみに、確認強迫の方は治ったのですが、禁煙は失敗しました(笑)。
音楽を聴きながら紫煙を燻らせる時間が、僕には至福の時なのです。
このように、禁煙程度のことすら出来ない、意志の力が薄弱な僕でも、
確認強迫はきっちり治せたのですから、大抵の人は治るようです。
実際に、13年間の活動の中で無数の治った人を見てきましたので、
よほどの重度の方でない限りは、なんとかなると信じています。




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2014年2月5日水曜日

新聞配達の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、強迫観念を消そうとしなくてもよいのです。
強迫観念から発生する極度の不安も消そうとしなくてよいのです。
ですので、当然、確認強迫もしなくてよいのです。
これらを全て諦めてしまうことが大事になってきます。
まず、強迫観念が出てきたら、1度だけ、その強迫観念の、
非論理的なところ、不条理なところを批判し、
頭により正しい思考を思い浮かべます。
新聞配達の場合ですと、たとえば、

「新聞の種類を確認して、新聞を二つ折りにしたけども、
ちゃんと、この家に配る新聞だっただろうか?」という強迫観念に対して、
「新聞の種類を自分で確認したのだから、再度確認する必要はない」
というように、正しい思考を思い浮かべるわけです。

当然、そのようなことを頭に思い浮かべたとしても、
強迫観念も極度の不安も消えないのです。消えなくて当然ですので、
消えないのなら、それはもう、そのままにしておけばよいのです。
当然、強迫観念と不安に苛まれて、非常に苦しい思いをすることでしょう。
でも、そのまま苦しみ続けてください。

苦しみ続けつつ、今している仕事(ここでは新聞配達)をします。
苦しみながら、ひたすら新聞を配っていきます。
当然、確認強迫をしないで配っていくことになりますし、
確認強迫をしないので、強迫観念も不安も解消されないままです。
それでも、それらによって苦しみ続けつつ、配ればよいのです。

そうして配り続け、最後まで配り終わり帰宅します。
帰宅しても、当然、「間違って配達したのではないか?」とか、
「新聞店に苦情の電話が入って、店長が謝りに行ったのでは?」とかの、
強迫観念に苛まれますが、それもそのままにしておきます。

大事なのは、強迫観念にせよ、極度の不安にせよ、
それを感じたとしても、そのままにしておくことです。
そのままにしつつ、日常を送っていればよいのです。
強迫観念にしても不安にしても、そのままですと当然辛いです。
でも辛いだけですので、確認強迫をせずに、そのままでいましょう。

強迫性障害が、辛すぎて死ぬような病気ならばともかく、
ただ辛いだけなのですから、その辛さを感じつつ、普通に日常生活を送る。
それが重要となってきます。
どれだけ辛い思いをしても、この病気で死ぬことはありませんので、
安心して苦しんでください。

前にも説明しましたが、この時、強迫観念をなんとか消そうとして、
何度も頭の中の強迫観念を打ち消すために、強迫観念を、
頭の中で打ち消そうとしたり、無視しようとしたりしなくてもよいのです。
そのようなことをしますと、かえって、強迫観念を強化してしまいます。
ですので、ただ、そのままにしておくのです。

感覚としては、「頭の中に強迫観念があるなあ」と思って苦しみつつ、
わずかでもいいですので、その時していることについても考えます。
そのような精神状態で、日常生活を送ります。

そうしますと、面白いもので、時間の経過に反比例するように、
強迫観念も極度の不安も、徐々に力を失っていくのです。
最後の方になりますと、日常生活ですることのみに集中していて、
気付いたら強迫観念が消え去っているのです。

強迫観念や極度の不安が消え去るまでの所要時間は、
人によって違いますけども、いずれは必ず消えるものですので、
消えるまで苦しみ続けましょう。苦しみを甘んじて受け入れてください。
それだけでも、苦しみは和らぎますし、先にも説明したように、
その先には、強迫観念も極度の不安もない世界が待っているのですから。




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2014年2月1日土曜日

新聞配達の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、ここでは、強迫観念が発生した時に、確認を1度で済ませ、
確認強迫をせずにいた時、強迫観念と極度の不安に苛まれたら、
どのようにして、確認強迫をしてしまうことなく、強迫観念と不安を消すのか。
その方法の一つについて説明していくことにします。

このような場合、頭の中に強迫観念と極度の不安が発生します。
人によっては動悸がするなどの身体症状まで出てしまうこともあります。
このように強力な強迫観念と不安があるので、
ついつい確認強迫をすることで、強迫観念や不安を解消しようとしますが、
これでは、確認強迫は治りませんし、強迫観念も治りません。
ですので、このような時に、確認強迫はしない方がよいかと考えます。

また、強迫観念が頭に思い浮かぶから、確認強迫をしなければならない。
それならば、強迫観念を消せばよいのだ!と考える人がいますし、
それは実際、その通りで正しいのですが、消す方法が正しくないケースがあります。
たとえば、強迫観念が頭に浮かんだ時、
頭の中で「消えろ! 消えろ!」と必死に念じ続けるような行為がそれです。

このように強迫観念と真正面から戦う行為というのは、
常に強迫観念を意識し続けることを意味しますので、
よほどの強靭な精神力をお持ちの方以外は、いつまで経っても、
強迫観念が消えないまま、極度の不安に苛まれ続ける結果になりますので、
いずれ、不安に負けて確認強迫をする結果に繋がり、まず治りません。

では、強迫観念を意識的に無視しようとするのはどうでしょう?
これも仮に完全な意味で、強迫観念の存在を自分の意識の埒外に、
置くことが出来るのならば、それで治るのでしょうけども、
強迫観念は常に自分の意識の中にありますから、それを無視するためには、
まず、強迫観念の存在を認識しなければなりません。

そうしますと、その度に強迫観念を意識することになりますので、
この場合でも、やはり強迫観念はいつまで経っても消えないので、
いずれ、不安に負けて確認強迫をする結果になることでしょう。
このような方法では、強迫観念を消せないのです。
ここで自分の常識を疑ってみることが大事なのです。

その常識とは、「不安は解消しなければならない」という常識です。
言うまでもなく、不安になったら、非常に不快になります。
不安でさらに不快でもあるのならば、当たり前のことですが、
不安を解消して安心しようとしますよね。
でも、そのために、あれこれやると不安はなかなか消えてくれません。

というのも、不安を直接的に解消しようとする行為というのは、
その全てが、そうした行為をするたびに、毎回、
不安を意識しなければ出来ないものだからです。
不安を消そうとしているのに、不安を直接的に消そうとすると、
毎回不安を意識してしまうので、不安が消えるばかりか、
場合によっては、逆に不安が強化される事態にもなるのですね。

このように不安を直接的に解消しようとすると、
かえって不安を強化することになりかねませんので、
もういっそのこと、消そうとすることを諦めてしまうとよいでしょう。

強迫観念を消そうとしなくてもよいのです。
強迫観念から発生する極度の不安も消そうとしなくてよいのです。
ですので、当然、確認強迫もしなくてよいのです。
これらを全て諦めてしまうことが大事になってきます。

諦めてしまい、その後、どうするのかは、次回で説明することにします。




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