2014年4月28日月曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

強迫性障害の不潔恐怖によって、
実際に、本当に汚い物ではなくても、自分が汚いと思い込んでいる物、
不潔恐怖の強迫観念によって、汚いと思い込んでいる物に触れた場合、
その触れた箇所を洗浄し続けるのが、洗浄強迫です。
触れ場所が汚いと思うので、その箇所を洗って綺麗にしないことには、
精神的に落ち着くことはありません。

しかし、厄介なことに、どれだけ洗ったとしても満足出来ることはありません。
何回洗っても、何時間洗っても、汚れたと思い込んでいる箇所が、
綺麗になったという実感は、いつまで経っても得られません。
ですので、いつまでもいつまでも洗い続けることになります。

もちろん、人間ですから精神的、肉体的な限界がありますので、
永遠に洗い続けることは出来ません。
そのため、洗浄強迫が終了するのは、その箇所が綺麗になったと思えたから、
綺麗になったと実感出来たからではなく、
「もうこれ以上洗えない!」と精神的疲労が極限にまで達した時か、
肉体的疲労が極限にまで達した時になります。

また、自分にとって、自分が汚れているため、
それを綺麗にしなければならないという思い込みよりも、
優先事項が高い事がある場合には、洗浄強迫をやめられます。
人によって違いますが、学校に行くこと、仕事に行くことなどが、
そのような事例になります。

そのように、自分を綺麗にする事以上に優先する物事が無い場合は、
やはり精神的、肉体的な疲労で行動が出来なくなるまで、
洗浄強迫が続いてしまうのです。

このような洗浄強迫を、自分で強制的にやめると、
パニックになってしまったり、過呼吸を起こしたり、
精神的に極度に不安定になったりと、多くの弊害があります。
場合によっては、怒り狂って暴れることもあります。

家族などが、洗浄強迫を強制的にやめさせた場合も同様で、
パニック、過呼吸などが起きたり、暴れたり物に当たったり、
場合によっては、家族に危害を加えることもあります。

洗浄強迫というのは、このように、容易に止めることも、
止めさせることも出来ない、非常に厄介な強迫性障害の症状です。

次回からは、私の不潔恐怖の症状を説明していくことにします。





不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年4月5日土曜日

針の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)7-治療編

針の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)7-治療編
で説明したように、強迫観念を受け入れるということが、
強迫観念が消えるまで、強迫行為をしないでおくためには、
極めて重要な要素となってきます。
「受け入れる」と言われても、なんとなくは理解出来るでしょうが、
あまり、はっきりと明瞭には伝わらないので、もう少し説明します。

強迫性障害の患者の方が、強迫観念に苦しむのはなぜかと言えば、
強迫観念が頭に勝手に浮かび続けるからなのは言うまでもありません。
それがとても苦しいので、強迫行為をすることによって、
一時的な安心を手に入れようとしてしまいます。

もちろん、強迫行為によって得られる安心は、
薬で言えば対症療法であって、根本的な治療法ではありませんので、
またすぐに強迫観念が発生して苦しむことになってしまうわけです。

さて、強迫性障害の強迫観念を治すためには、
さらにもう一歩踏み込んで考える必要があります。
そもそも、強迫観念が頭に思い浮かび続けることの、
何が一体苦しいのかと、問う必要があるのです。

頭に勝手に強迫観念が思い浮かぶことを苦しく感じるということは、
自分にとって、それが異常な状態であると認識しているからに他なりません。
強迫観念によって、辛いとか苦しいとかの感情が発生するのは、
強迫観念が発生している状態が、正常な状態と比較して、
異常だと認識しているためなのです。

強迫性障害の患者の方が苦痛を感じるのは、
自分が知っている正常な状態と比較して、現状が異常だからそう感じるだけです。
もし仮に、生まれた時から、常に強迫観念に苛まれていたのならば、
そこに苦しみは感じないことでしょうし、
強迫行為をすることもないのではないでしょうか。
強迫観念があるのが正常な状態だと認識しているのであれば、
強迫観念がいくら出てきても、それは苦しくはないということです。

であるならば、強迫観念が発生した時に、
強迫行為をどうしてもしたくなるくらいの苦痛を感じなくするには、
自分の中の正常を、今の強迫観念が発生している状態に置き換えれば、
強迫観念がいくら発生しても、何事もなくやり過ごせるということになります。

頭に何も浮かんでこない状態を正常だとは思わないようにするわけです。
そして、強迫観念が発生し続ける、まさに今こそが正常だと認識し、
自覚し、そして実感するということです。
「受け入れる」というのは、このような意味なのです。

分かりやすい例ですと、たとえば、足を骨折したとしましょう。
骨折した当初は酷く痛く感じて、とても辛い思いをします。
しかし、何日かすると、痛いのが当たり前になってくることでしょう。
痛いということは認識出来ていても、
痛くて当たり前だから、当然なのだから、痛いことで精神的に苦しまなくなるのです。
肉体的に感覚的に痛いのは間違いないのですが、
それによって、精神的な苦痛はたいして受けなくなっていくのです。

つまりは、痛みを日常的なものとして認識し受け入れた結果、
痛いから辛いとは、すっかり思わなくなってしまったということです。

これと同じように、強迫観念も発生して当たり前だ、当然で自然なことだと考え、
自分にとって、強迫観念があることが自然なことだと実感出来るようにしていくことで、
強迫観念が発生しても、不安や苦痛を感じなくさせることが出来ます。
これが強迫観念を受け入れるということであり、
強迫観念が発生しても、このように受け入れるならば、
強迫観念を解消するための強迫行為は、しなくても済むようになるのです。

そして、そうすると、強迫観念は時間の経過を待てば、
自然に消えていってしまいます。
強迫観念を消すには、強迫観念そのものを自分の日常として、
自分の一部として受け入れ、そうした自分として、
日々を過ごしていけば、よいということなのです。





針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編

針の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)7-治療編





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