で書いたように、強迫観念を消そうとしなくてもよいのです。
強迫観念から発生する極度の不安も消そうとしなくてよいのです。
ですので、当然、確認強迫もしなくてよいのです。
これらを全て諦めてしまうことが大事になってきます。
まず、強迫観念が出てきたら、1度だけ、その強迫観念の、
非論理的なところ、不条理なところを批判し、
頭により正しい思考を思い浮かべます。
新聞配達の場合ですと、たとえば、
「新聞の種類を確認して、新聞を二つ折りにしたけども、
ちゃんと、この家に配る新聞だっただろうか?」という強迫観念に対して、
「新聞の種類を自分で確認したのだから、再度確認する必要はない」
というように、正しい思考を思い浮かべるわけです。
当然、そのようなことを頭に思い浮かべたとしても、
強迫観念も極度の不安も消えないのです。消えなくて当然ですので、
消えないのなら、それはもう、そのままにしておけばよいのです。
当然、強迫観念と不安に苛まれて、非常に苦しい思いをすることでしょう。
でも、そのまま苦しみ続けてください。
苦しみ続けつつ、今している仕事(ここでは新聞配達)をします。
苦しみながら、ひたすら新聞を配っていきます。
当然、確認強迫をしないで配っていくことになりますし、
確認強迫をしないので、強迫観念も不安も解消されないままです。
それでも、それらによって苦しみ続けつつ、配ればよいのです。
そうして配り続け、最後まで配り終わり帰宅します。
帰宅しても、当然、「間違って配達したのではないか?」とか、
「新聞店に苦情の電話が入って、店長が謝りに行ったのでは?」とかの、
強迫観念に苛まれますが、それもそのままにしておきます。
大事なのは、強迫観念にせよ、極度の不安にせよ、
それを感じたとしても、そのままにしておくことです。
そのままにしつつ、日常を送っていればよいのです。
強迫観念にしても不安にしても、そのままですと当然辛いです。
でも辛いだけですので、確認強迫をせずに、そのままでいましょう。
強迫性障害が、辛すぎて死ぬような病気ならばともかく、
ただ辛いだけなのですから、その辛さを感じつつ、普通に日常生活を送る。
それが重要となってきます。
どれだけ辛い思いをしても、この病気で死ぬことはありませんので、
安心して苦しんでください。
前にも説明しましたが、この時、強迫観念をなんとか消そうとして、
何度も頭の中の強迫観念を打ち消すために、強迫観念を、
頭の中で打ち消そうとしたり、無視しようとしたりしなくてもよいのです。
そのようなことをしますと、かえって、強迫観念を強化してしまいます。
ですので、ただ、そのままにしておくのです。
感覚としては、「頭の中に強迫観念があるなあ」と思って苦しみつつ、
わずかでもいいですので、その時していることについても考えます。
そのような精神状態で、日常生活を送ります。
そうしますと、面白いもので、時間の経過に反比例するように、
強迫観念も極度の不安も、徐々に力を失っていくのです。
最後の方になりますと、日常生活ですることのみに集中していて、
気付いたら強迫観念が消え去っているのです。
強迫観念や極度の不安が消え去るまでの所要時間は、
人によって違いますけども、いずれは必ず消えるものですので、
消えるまで苦しみ続けましょう。苦しみを甘んじて受け入れてください。
それだけでも、苦しみは和らぎますし、先にも説明したように、
その先には、強迫観念も極度の不安もない世界が待っているのですから。
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