2014年2月5日水曜日

新聞配達の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、強迫観念を消そうとしなくてもよいのです。
強迫観念から発生する極度の不安も消そうとしなくてよいのです。
ですので、当然、確認強迫もしなくてよいのです。
これらを全て諦めてしまうことが大事になってきます。
まず、強迫観念が出てきたら、1度だけ、その強迫観念の、
非論理的なところ、不条理なところを批判し、
頭により正しい思考を思い浮かべます。
新聞配達の場合ですと、たとえば、

「新聞の種類を確認して、新聞を二つ折りにしたけども、
ちゃんと、この家に配る新聞だっただろうか?」という強迫観念に対して、
「新聞の種類を自分で確認したのだから、再度確認する必要はない」
というように、正しい思考を思い浮かべるわけです。

当然、そのようなことを頭に思い浮かべたとしても、
強迫観念も極度の不安も消えないのです。消えなくて当然ですので、
消えないのなら、それはもう、そのままにしておけばよいのです。
当然、強迫観念と不安に苛まれて、非常に苦しい思いをすることでしょう。
でも、そのまま苦しみ続けてください。

苦しみ続けつつ、今している仕事(ここでは新聞配達)をします。
苦しみながら、ひたすら新聞を配っていきます。
当然、確認強迫をしないで配っていくことになりますし、
確認強迫をしないので、強迫観念も不安も解消されないままです。
それでも、それらによって苦しみ続けつつ、配ればよいのです。

そうして配り続け、最後まで配り終わり帰宅します。
帰宅しても、当然、「間違って配達したのではないか?」とか、
「新聞店に苦情の電話が入って、店長が謝りに行ったのでは?」とかの、
強迫観念に苛まれますが、それもそのままにしておきます。

大事なのは、強迫観念にせよ、極度の不安にせよ、
それを感じたとしても、そのままにしておくことです。
そのままにしつつ、日常を送っていればよいのです。
強迫観念にしても不安にしても、そのままですと当然辛いです。
でも辛いだけですので、確認強迫をせずに、そのままでいましょう。

強迫性障害が、辛すぎて死ぬような病気ならばともかく、
ただ辛いだけなのですから、その辛さを感じつつ、普通に日常生活を送る。
それが重要となってきます。
どれだけ辛い思いをしても、この病気で死ぬことはありませんので、
安心して苦しんでください。

前にも説明しましたが、この時、強迫観念をなんとか消そうとして、
何度も頭の中の強迫観念を打ち消すために、強迫観念を、
頭の中で打ち消そうとしたり、無視しようとしたりしなくてもよいのです。
そのようなことをしますと、かえって、強迫観念を強化してしまいます。
ですので、ただ、そのままにしておくのです。

感覚としては、「頭の中に強迫観念があるなあ」と思って苦しみつつ、
わずかでもいいですので、その時していることについても考えます。
そのような精神状態で、日常生活を送ります。

そうしますと、面白いもので、時間の経過に反比例するように、
強迫観念も極度の不安も、徐々に力を失っていくのです。
最後の方になりますと、日常生活ですることのみに集中していて、
気付いたら強迫観念が消え去っているのです。

強迫観念や極度の不安が消え去るまでの所要時間は、
人によって違いますけども、いずれは必ず消えるものですので、
消えるまで苦しみ続けましょう。苦しみを甘んじて受け入れてください。
それだけでも、苦しみは和らぎますし、先にも説明したように、
その先には、強迫観念も極度の不安もない世界が待っているのですから。




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