2014年11月24日月曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編
で説明したように、毎日2、3時間も入浴していたために、
入浴による精神的な負担がかなり大きくなっていきました。
どれだけ頭や体を洗っても綺麗に感じないので、
その時間はどんどん長くなっていくばかりだったのです。

このように、極度に自分の汚れを恐れていたのですが、
入浴の時間があまりにも長くなっていったために、
自分の汚れが気になっていても、入浴するのがあまりに辛すぎて、
次第に入浴出来なくなっていきました。
そして、月に1回入浴出来ればよいような状態にまでなりました。

当時、対人恐怖でもありましたので、
当然、そのような状態では外出出来るわけもなく、
その結果、家にひきこもるようにもなっていきました。
私が過去にひきこもるようになった理由は、色々とあったのですが、
その一つが強迫性障害によるものだったのです。

不潔恐怖の私としては、体が汚れている状態では、
それだけで精神的にかなり辛かったですし、
かといって、体を綺麗にするために入浴するのも、
それと同じくらいに辛くなってしまったので、
逃げ場のない苦痛に苛まれる日々を過ごしていたのです。

当時はネットも普及していませんでしたし、
テレビでも強迫性障害のことなど放送していませんでしたので、
私は自分のこのような状態が何なのか、全く分かっていませんでした。
病気だとは認識していなかったので、
ただの性格上の問題だと考えていたのです。

ただ、それが私の場合にはよかったのかもしれません。
何も情報がなかったからこそ、自力で自分の状態を分析し、
自力で自分を変えていこうと思えたからです。
あまりにも辛くなった私は、自分を変えていこうと思うようになりました。
その詳しい話については、治療編で説明していくことにします。





不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編





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2014年7月21日月曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編
で説明したように、自分の体まで汚く感じてしまっていたので、
お風呂に入る時にも、とても大変でした。

自分の体を洗う時にも洗浄強迫の症状が出てしまっていたので、
体を洗うだけでも1時間ほど洗っていたように記憶しています。
どれだけ体を洗っても綺麗になったように感じられないので、
何度も何度も体中をこすっていたのです。

体を洗った後に石鹸を流すわけですが、
今度は石鹸が全て綺麗に流れたのかが不安になり、
何度も何度も体をお湯で流していました。
当時の私の家にはシャワーがなかったものですから、
浴槽のお湯で石鹸を流していましたが、お湯がほとんどなくなるくらいでした。

その後、お湯を沸かしつつ、今度は頭を洗います。
私はどういうわけか、頭が極度に汚れているという、
強迫観念に苛まれていたので、頭は過剰に洗っていました。
1時間半ほど、洗い続けていたことと思います。
1時間半ほど洗い続けていると、腕も手もすっかり疲れ果てますし、
頭皮も痛くなってきますが、それでも洗い続けていたのです。

当然、シャンプーを流す時にも、シャンプーをちゃんと落とせたのかと、
酷く不安になるために、お湯を何度も何度も頭にかけては、
必死に洗い流していました。
そのようにして体と頭を洗ってようやくお風呂から出られるのですが、
結局、毎回2時間から3時間はかかっていたようです。
毎日、このように入浴していたので、次第に神経がすり減っていきます。

しかも、これだけ必死に洗ったとしても、
やはり自分の体は汚いとしか感じられないのです。
ですので、お風呂から出た後も自分の体に手が触れようものなら、
やはりすぐに手を洗う必要がありましたので、
とても苦しい日々を送っていました。




不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年6月14日土曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編
で説明したように、ティッシュを使ったり足で物に触れたりすることで、
日常生活をなんとか送れるようになることで、精神状態が少し楽になりました。
それまでは何もかも汚れているとしか思えないので、
何かを触るたびに手洗いをしなければなりませんでした。

それが苦になって次第に何も触れなくなっていき、
日常生活がまともに送れなくなっていたのですが、
なんとか物に触れるようになったので、
日常生活をなんとか送れるようになったのです。
したいことが出来るようになるだけで、精神状態はかなり改善されました。

もっとも、日常生活をなんとか送れるようになりましたが、
根本的には何の解決にもなっていませんでした。
物を極度に汚いとしか思えなくなっているからこそ、
ティッシュや足を使うことでしか物に触れないわけですし、
うっかりほんの少しでも何かに触れてしまったら、
手を洗わなければなりません。

ですので、日々の生活は何をするにも神経を使っていましたので、
酷く気疲れをする毎日を過ごしていました。
手を洗うだけのことなのですが、それが数十回も必要で、
しかも一回一回にかなりの時間がかかりますから、
相当に苦痛を感じる毎日だったのです。

これが物だけならよかったのですが、
自分の手のひら以外の自分の体も全て汚い物としか思えませんでした。
ですので、うっかり自分の皮膚にでも触れようものなら、
即座に手洗いをしなければなりませんでした。
どこかが痒くて思わずかいてしまうと、すぐに手洗いです。

ですので自分の体に触れる時もティッシュ越しに触れていました。
自分の体が汚いということですと、どこに移動しても、
汚い物から逃れることが出来ないのが酷く辛かったです。
逃れられない恐怖です。
そのため、睡眠時以外は常に緊張して過ごすことになっていました。





不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年6月8日日曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編
で説明したように、全ての物をティッシュ越しに触ることで、
なんとか日常生活が送れるようになりましたが、
これはこれで、あまりに面倒くさいことでした。
数か月ほど経過した後、他の方法を考えるようになります。

そして、ある日気付いたのです。
これほどまでに汚れを避けている私が、
自分の足の裏だけは床や畳や靴などに接していても、
汚れてしまったと感じないことに。
そのことに気付き、足を使えばよいのではと思い始めました。

とりあえず、テレビのリモコンを足で操作することから挑戦します。
足でリモコンに触れてみたら、案の定、汚れたとは思いませんでした。
これは使えると思った私は、リモコンの小さなボタンを、
太い足の親指でなんとか押そうと四苦八苦します。
そして実際にリモコンのボタンを押せて、
テレビのチャンネルをかえることに成功したのです。

これに気をよくした私は、戸を開ける時もふすまを開ける時も、
足でするようになっていきます。
玄関も当然足で開けますし、ラジカセの操作も全て足でしました。
次第にエスカレートしてきて、ドアノブを足で回せるようになっていき、
壁にある部屋の電気のスイッチも足で操作するようになります。

今、考えてみると、随分と行儀の悪い行為でしたが、
冷蔵庫も足で開けていましたね。
どのような物でも足で触れて、動かしていたのです。
どうしても足が届かない高い所の物であるとか、
足で操作出来ないゲームやパソコンについては仕方ないので、
これまで通りティッシュ越しに手で触れていました。

このように大抵のことを足で出来るようになると、
物に触れようとする度に、毎回ティッシュを取りに行く煩わしさが無くなり、
精神的に少しは楽になりました。
自分の異常さを多少は自覚しつつも、少しでも楽になったことで、
日常生活も送りやすくなったのでした。





不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年6月7日土曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編
で説明したように、毎日50回から100回ほど手を洗い、
濡れた手をティッシュ以外では拭けなくなってしまった私は、
次第に手を洗うことが面倒くさくなってきます。
手を洗うことを苦痛に感じるようになったために、
手を洗う必要が無いようにしていきました。

それは極力物に触れないように生活することです。
物に触れないとまともに生活が出来ないのですが、
物に触れると手洗いをする必要が出来て、あまりに苦痛なので、
極力物に触れないようにしたのです。
こうして生活に支障が出てくるようになってしまいました。

当時はまだネットも存在せず、私自身はもちろん他の家族も、
強迫性障害の知識などは一切ありませんでしたから、
私自身も自分が何かおかしいと感じていましたし、
親には変な子と言われることがありました。
それらのことでストレスが溜まり、さらに症状は悪化していきました。

このような症状で苦しみ続けていたのですが、
このままでは生活がままならなくなると感じ、
なんとか手を洗わずに物に触れる方法が無いかを考えていました。
その時に思いついたのが、ティッシュ越しに物に触れる方法です。
自分の手以外の自分を含む何かに触れる場合には、
常にティッシュ越しに触れることにしたのです。

不思議とティッシュは、まだ綺麗に感じられたので、
テレビのリモコンもファミコンのコントローラーも、
パソコンのキーボードもドアノブも、全てティッシュ越しに触れました。
キーボードにティッシュを敷いたのでキーが見えなくなるのですが、
それで文字を入力していきました。
今の私がブラインドタッチが出来るのは、この時の経験があるからです。

このようにティッシュを使うことで、物に直接触れる必要が無くなり、
不潔恐怖と洗浄強迫という症状がありながらも、
不便ではありましたが、なんとか日常生活が送れるようになりました。
もちろん、このような生活は苦痛以外の何物でもありませんので、
私の心はストレスに苛まれ、さらに病んでいくのでした。





不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年6月1日日曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編
で説明したような症状が、不潔恐怖と洗浄強迫の症状です。
私の記憶を探ってみても、一番最初の不潔恐怖の症状が出る対象は、
特に決まっていませんでした。
自分の手以外のあらゆる物が汚いと、
いつの間にか思うようになっていたのです。

たとえば座っている時に畳に手を触れると汚れてしまったと思い、
すぐに手を洗いに行きました。
テレビのリモコンを操作した後にも手を洗います。
戸を開けるために触っても、ドアノブを掴んでも、本を触っても、
どのような物に触れても手を洗っていたのです。

手を洗った後には当然タオルで手を拭いていたのですが、
ある日、タオルも汚いのではないかと思ってしまいました。
それ以降、手を洗ってからは自然乾燥で頑張っていたのですが、
さすがにそれは面倒くさくなったので、綺麗なものはないかと探したところ、
ティッシュペーパーはタオルよりは奇麗に感じられたので、
それで手を拭くようになったのです。

このように普通に生活していると、どうしても触れなければならない物を、
極度に汚いと感じるようになってしまったために、
学校のある平日は1日50回程度は手を洗っていましたし、
休日の場合は1日100回程度は洗っていたことと思います。
自分でもなんでこんなことをしているのだろうと思いつつも、
汚いと思ったら耐えられずに、毎日、頻繁に手を洗い続けていたのです。





不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年5月5日月曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編
で説明したような症状が、強迫性障害の洗浄強迫なのですが、
その洗浄強迫をなぜするのかと申しますと、
不潔恐怖という強迫性障害の症状があるからなのです。
不潔恐怖は汚いものを極度に恐れる症状です。

不潔恐怖というのは汚いものを極度に恐れる症状なのですが、
不潔恐怖の患者の汚れの概念は一般的なそれとは違い、
患者それぞれに独自のものが形成されています。
それぞれの患者によって、何が汚いものであるのかが違うのです。

患者によっては、一般的に汚いとされているものに対して、
不潔恐怖の症状が出ないのに、一般的に汚いとされていないものに対して、
不潔恐怖の症状が出ることもあります。

どうして、このようなことになるかは、不潔恐怖というのは、
その対象が実際に細菌などによって汚染されていたり、
目で見て分かるくらいに汚れていたりするということで症状が出るわけではなく、
あくまでも患者その人の、汚れの観念、汚れについての思い込みを判断基準にして、
その対象が汚いかどうかを判断しているからなのです。

そして、そのように汚いと思う対象を見れば、それに近付くことを必死に避けようとします。
万が一触れでもしてしまったら、必死になって自分の体の触れた箇所を洗浄するのです。
しかし、どれだけ洗浄しても、汚れが落ちたと実感出来ないので、
いつまでも洗い続けるというような洗浄強迫に繋がっていきます。

私もそのような不潔恐怖に悩まされるようになりました。
それが顕著になったのは私が中学1年生の13歳の時でした。
次回からは、私の症状を順を追って説明していくことにします。




不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年4月28日月曜日

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)1-症状編

強迫性障害の不潔恐怖によって、
実際に、本当に汚い物ではなくても、自分が汚いと思い込んでいる物、
不潔恐怖の強迫観念によって、汚いと思い込んでいる物に触れた場合、
その触れた箇所を洗浄し続けるのが、洗浄強迫です。
触れ場所が汚いと思うので、その箇所を洗って綺麗にしないことには、
精神的に落ち着くことはありません。

しかし、厄介なことに、どれだけ洗ったとしても満足出来ることはありません。
何回洗っても、何時間洗っても、汚れたと思い込んでいる箇所が、
綺麗になったという実感は、いつまで経っても得られません。
ですので、いつまでもいつまでも洗い続けることになります。

もちろん、人間ですから精神的、肉体的な限界がありますので、
永遠に洗い続けることは出来ません。
そのため、洗浄強迫が終了するのは、その箇所が綺麗になったと思えたから、
綺麗になったと実感出来たからではなく、
「もうこれ以上洗えない!」と精神的疲労が極限にまで達した時か、
肉体的疲労が極限にまで達した時になります。

また、自分にとって、自分が汚れているため、
それを綺麗にしなければならないという思い込みよりも、
優先事項が高い事がある場合には、洗浄強迫をやめられます。
人によって違いますが、学校に行くこと、仕事に行くことなどが、
そのような事例になります。

そのように、自分を綺麗にする事以上に優先する物事が無い場合は、
やはり精神的、肉体的な疲労で行動が出来なくなるまで、
洗浄強迫が続いてしまうのです。

このような洗浄強迫を、自分で強制的にやめると、
パニックになってしまったり、過呼吸を起こしたり、
精神的に極度に不安定になったりと、多くの弊害があります。
場合によっては、怒り狂って暴れることもあります。

家族などが、洗浄強迫を強制的にやめさせた場合も同様で、
パニック、過呼吸などが起きたり、暴れたり物に当たったり、
場合によっては、家族に危害を加えることもあります。

洗浄強迫というのは、このように、容易に止めることも、
止めさせることも出来ない、非常に厄介な強迫性障害の症状です。

次回からは、私の不潔恐怖の症状を説明していくことにします。





不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)2-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)3-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)4-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)5-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)6-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)7-症状編

不潔恐怖と洗浄強迫(強迫性障害)8-症状編





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2014年4月5日土曜日

針の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)7-治療編

針の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)7-治療編
で説明したように、強迫観念を受け入れるということが、
強迫観念が消えるまで、強迫行為をしないでおくためには、
極めて重要な要素となってきます。
「受け入れる」と言われても、なんとなくは理解出来るでしょうが、
あまり、はっきりと明瞭には伝わらないので、もう少し説明します。

強迫性障害の患者の方が、強迫観念に苦しむのはなぜかと言えば、
強迫観念が頭に勝手に浮かび続けるからなのは言うまでもありません。
それがとても苦しいので、強迫行為をすることによって、
一時的な安心を手に入れようとしてしまいます。

もちろん、強迫行為によって得られる安心は、
薬で言えば対症療法であって、根本的な治療法ではありませんので、
またすぐに強迫観念が発生して苦しむことになってしまうわけです。

さて、強迫性障害の強迫観念を治すためには、
さらにもう一歩踏み込んで考える必要があります。
そもそも、強迫観念が頭に思い浮かび続けることの、
何が一体苦しいのかと、問う必要があるのです。

頭に勝手に強迫観念が思い浮かぶことを苦しく感じるということは、
自分にとって、それが異常な状態であると認識しているからに他なりません。
強迫観念によって、辛いとか苦しいとかの感情が発生するのは、
強迫観念が発生している状態が、正常な状態と比較して、
異常だと認識しているためなのです。

強迫性障害の患者の方が苦痛を感じるのは、
自分が知っている正常な状態と比較して、現状が異常だからそう感じるだけです。
もし仮に、生まれた時から、常に強迫観念に苛まれていたのならば、
そこに苦しみは感じないことでしょうし、
強迫行為をすることもないのではないでしょうか。
強迫観念があるのが正常な状態だと認識しているのであれば、
強迫観念がいくら出てきても、それは苦しくはないということです。

であるならば、強迫観念が発生した時に、
強迫行為をどうしてもしたくなるくらいの苦痛を感じなくするには、
自分の中の正常を、今の強迫観念が発生している状態に置き換えれば、
強迫観念がいくら発生しても、何事もなくやり過ごせるということになります。

頭に何も浮かんでこない状態を正常だとは思わないようにするわけです。
そして、強迫観念が発生し続ける、まさに今こそが正常だと認識し、
自覚し、そして実感するということです。
「受け入れる」というのは、このような意味なのです。

分かりやすい例ですと、たとえば、足を骨折したとしましょう。
骨折した当初は酷く痛く感じて、とても辛い思いをします。
しかし、何日かすると、痛いのが当たり前になってくることでしょう。
痛いということは認識出来ていても、
痛くて当たり前だから、当然なのだから、痛いことで精神的に苦しまなくなるのです。
肉体的に感覚的に痛いのは間違いないのですが、
それによって、精神的な苦痛はたいして受けなくなっていくのです。

つまりは、痛みを日常的なものとして認識し受け入れた結果、
痛いから辛いとは、すっかり思わなくなってしまったということです。

これと同じように、強迫観念も発生して当たり前だ、当然で自然なことだと考え、
自分にとって、強迫観念があることが自然なことだと実感出来るようにしていくことで、
強迫観念が発生しても、不安や苦痛を感じなくさせることが出来ます。
これが強迫観念を受け入れるということであり、
強迫観念が発生しても、このように受け入れるならば、
強迫観念を解消するための強迫行為は、しなくても済むようになるのです。

そして、そうすると、強迫観念は時間の経過を待てば、
自然に消えていってしまいます。
強迫観念を消すには、強迫観念そのものを自分の日常として、
自分の一部として受け入れ、そうした自分として、
日々を過ごしていけば、よいということなのです。





針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編

針の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)7-治療編





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2014年3月22日土曜日

針の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)7-治療編

針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編
で説明したように、「畳の上に座ったり、畳に手で触れたりすると死ぬ」
という強迫観念を克服して、畳の上に座れるようになるために、
畳に手で触れることから始め、その後、畳の上に座れるようになりました。

強迫観念がありながら、その強迫観念に逆らうようなことをすると、
強烈な強迫観念に苛まれてしまいます。
今回の強迫観念の場合、畳を手でちょっと触れただけで、
強烈な強迫観念が発生しました。「畳に手で触れたら死ぬ」ということですので、
実際に手を触れたら、強烈な死の恐怖を味わうこととなったのです。

この強迫観念による死の恐怖を消すために大事だったのは、
変に意識しないということでした。


・強迫観念によって生まれた感情を、そのまま受け入れる。

・強迫観念を無理に無視しようとしない。

・強迫観念を無理矢理忘れようとしない。

・強迫観念を打ち消すために、それを打ち消すための言葉を、
 何度も頭の中で発しない(やるなら1度だけでやめます)


というように、強迫観念に苛まれて、パニックになったりしても、
強迫観念を無理して無視しようとしたり、無理矢理忘れようとしたりすると、
かえって強迫観念に意識が向いてしまって、
強迫観念がずっと気になり続けてしまいますので、
そうしたことは一切しないようにします。

たとえば、今回のように死の恐怖に苛まれているのならば、
「死ぬのは怖い」という感情が生まれているのですが、
その恐怖をそのまま受け入れ、恐怖をそのまま感じ続けていればよいのです。
今、強迫観念によって、自分が恐怖を感じていることを、
否定せず、無視せずに受け入れたままでいればよいのです。

そのような精神状態でいられるようになったら、
そのままの精神状態で日常生活を送ります。
死の恐怖を味わいながら、学校や職場へ行ったり、家事をしたりします。
そうしていれば、短ければ数時間で強迫観念と恐怖の感情は消えますし、
長くても、いずれはちゃんと消えるのです。


針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編


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2014年3月15日土曜日

針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編

針の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)7-症状編
で、お話ししたように、「自宅の部屋の畳の上に針が落ちているに違いない!」
という強迫観念が発生してしまったために、
畳の上に座れなくなってしまった僕は、自宅で過ごす時には、
何時間もずっと立ったまま過ごしていました。
家族の奇異な物でも見る目に晒されながらも立ち尽くしていました。

さすがに、これは肉体的にはもちろんですけども、
何よりも精神的にきつかったので、なんとか治そうと考えたのです。
ちなみに、この場合については、確認強迫はありませんでした。
それ以前には、目で見ても、その目で見た結果が信じられず、
手で部屋中の畳の全てを触れることにより、針が落ちていないことを確認して、
ようやく座れたのです。

ですが、そうした確認強迫をすることまでも怖くなったのです。
畳に手を触れることすら怖くなってしまっていたのでした。
大げさに表現すると、「畳に触れること=死」という感じでした。
ですので、目で見て針が無くてもあるとしか思えなくて、
手でも針の有無を確認出来なくなった僕は、
畳の安全性を全く感じられなくなってしまったので、畳に座れなくなったのです。

この場合、いかにして治すべきかと、毎日、座れないまま、
何時間も立ち尽くしながら考えていました。
その僕のそばでは、家族が座ったり、寝そべったりしてテレビを見ています。
当たり前の光景ですが、ある時、ふと疑問を感じたのです。
「家族はなぜ、畳の上に平気で座れるのだろう?」と。その時に気付いたのです。

「僕は畳に座れないが、立ててはいる。
もし、針が落ちているならば、足に刺さり、既に死んでいるはずであろう。
(足に針が刺さっても死にませんけど、そうした強迫観念だったのです、笑)
畳に足を踏み入れ、何時間立っていても死なないのならば、
座っても死なないのではないか」と。

そのことに気付き、強迫観念とは違う、
より現実に即した文章を導き出します。それは、
「畳の上に立ち続けても死なないのだから、座っても死なないのは当然である。
なので、座ってもよいのだ」というものです。
そうした文章=思考を頭に1度だけ念じてから、座ろうとしました。

もちろん、座れません。「畳の上に座ったら針が刺さって死ぬ」という、
意味不明な強迫観念ですが、長期間、そう思い込んでいたので、
そう簡単にはその強迫観念に逆らうような行為は出来ないのです。
ですので、徐々に慣らしていこうということで、
まずは畳に手で触れることから始めてみることにしたのです。

実際に畳に手を触れるだけで1か月ほどかかった記憶があります。
その後も、数か月かけて、1本の指から2本の指というように5本まで増やし、
さらには10本の指で触れられるようにしていきました。
「畳に触れても死なない」と行為する前に一度だけ頭に強く念じ、
それ以降は念じずに行為するようにしていました。

そうして、両手の手のひらも触れられるようになり、
片膝をつけるようになり、というように、さらに数か月かけた結果、
ようやく座ることが出来るようになったのです。

こうして畳の上に座ることが出来るようになったのですが、
そのために一番大変だったこと。
それは、畳に触れた時に発生する、強烈な強迫観念を、
いかにして消し去るかということでした。
その方法を、次で説明していくことにします。




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2014年2月22日土曜日

針の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)7-症状編

僕がまだ幼い頃、誰かに聞きました。
「針が刺さって体内に入ると、体内に入った針が、
いずれは心臓に到達し、そして死ぬんだよ」と。
幼い頃でしたので、そんなことはないだろうと思いつつも、
同時にちょっと信じてしまい、怖くなってしまったのを憶えています。

そんなことをすっかり忘れた中学生の頃、僕は強迫性障害になりました。
強迫性障害のいろんな症状に悩まされつつも、なんとか生活していました。
そんなある日。唐突に頭の中に、浮かんできたのです。
「針が刺さって体内に入ると、体内に入った針が、
いずれは心臓に到達し、そして死ぬんだよ」という言葉が。

一笑に付せればよかったのですが、恐ろしいことに、
これが強迫観念になって、頭から離れなくなってしまったのです。
当時の僕はまだ生きることに執着していたのでしょう。
死ぬと思うと怖くなってしまいました。
そして、針が落ちていないかを畳を見て確認するようになったのです。

なぜ、畳の上なのかと言いますと、
僕の家では裁縫道具は畳の部屋の押し入れにあったので、
それで「畳の上に針が落ちているんじゃないか」との強迫観念が発生し、
畳の部屋に足を踏み入れる時は、毎回、畳の上を全て見回して、
針が落ちていないかの確認をしていたというわけなのです。

悪いことに、当は、畳の部屋に自分の机があったので、
毎日畳の部屋に入らなければなりませんでした。
ですので、中学から帰宅した後、毎日、畳の上を確認していました。
目で見れば針が落ちているかどうかの確認が出来ていた頃は、
まだよかったのですが、すぐに悪化します。

すぐに目で見ただけでは針が無いと実感出来なくなり、
目で見ながら、畳全体を手で触れることで針の有無を、
確認するようになってしまいました。
このようになると、確認に酷く時間がかかるようになります。
それで確認強迫が辛くなり、畳の部屋に入れなくなりました。

その後、数か月経過したら自然に少しよくなりました。
畳の上を手で確認せずとも、再び目で見るだけで畳の上に乗れて、
畳の部屋に入れるようになったのです。
ですが、残念なことに足を踏み入れることは出来たものの、
今度は畳の上で座ることが出来なくなってしまいました。

ですので、僕はその部屋や家族が集まる部屋では、
常に一人立ちっぱなしで生活していたのです。
これは、体力的にも精神的にも結構きつい!と思うようになったので、
この針の強迫観念と確認強迫を治すことにしました。
その時に考えた治療法を治療編で説明していくことにします。


針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編


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2014年2月11日火曜日

セーブの確認強迫-確認強迫(強迫性障害)6-症状と治療編

最近のゲームはデータを記録して電源を切っておけば、
次に遊ぶ時に記録した時の状態から遊ぶことが出来ます。
このように記録することをセーブと言います。
ドラクエですとドラクエ3から搭載されたこの機能はとても便利ですよね。
ドラクエでは神父さんに話して祈るとセーブが出来ます。

あれはドラクエ6だったでしょうか。
ゲームをやめようということで、「その前にセーブだ!」と、
教会の神父さんに話しかけて祈り、セーブしたのです。
その時、突然、ある考えが思い浮かんだのです。
それは「これで本当にセーブが出来たのだろうか?」というものでした。

これが強迫観念となり、頭の中をぐるぐる回り出したので、
ついつい確認強迫をしてしまいます。
セーブが出来たかどうかを確認するなら、電源を切り、再度電源を入れ、
ロードしてみればよいのですが、そうしますと、もしセーブ出来ていないと、
またゲームを最初からやり直すことになるので、それは辛いのです。

そこで考えましたよ! もう一度、神父さんに話しかけて祈って、
セーブすればよいのだと!
そして再度祈ってセーブしました。すると、不思議なものですね。
「これで本当にセーブが出来たのだろうか?」と、
また頭の中に思い浮かんできたのです。

何度祈っても同じ考えが思い浮かびます。強迫観念ですものね。
何度も何度も祈り続けます。1時間くらい、祈った時の音楽が、
ひっきりなしに鳴り続ける中、ひたすら祈っていたら、
いつの間にか力尽きて眠ってしまいました。
それ以降、ドラクエ6でのセーブに、長時間かかるようになったのです。

これは比較的軽い強迫行為でしたので、これを治療するための、
具体的な治療行為をしなくとも治りました。
何もしなかったわけではなく、このセーブの強迫行為ではなくて、
僕にとって、より重い別の確認強迫の症状を治療した結果、
ついでにこのセーブの強迫行為も治ってしまったのです。

たとえば、駅のホームにある時刻表の確認強迫があった場合で、
その上、さらに、電車の確認強迫があるとします。
電車の確認強迫というのは、「この電車は自分が乗るものなのか?」
との強迫観念を消すためのものです。確認しすぎて、乗るべき電車が、
僕をホームに残したまま走り去るような、そんな確認強迫です(笑)。

時刻表の確認強迫にしても、電車の確認強迫にしても、
なぜ、確認してしまうのかといえば、電車に乗って目的の駅に、
予定する時間に到着できるかどうかが不安だからです。
僕の場合、電車の確認強迫を治したら、特に手を付けていなかった、
時刻表の確認強迫も知らぬ間に治ってしまいました。

このように、関連する強迫観念を持つ確認強迫などの強迫行為は、
関連するいくつかの強迫観念のうちの一つを消すことに成功したならば、
関連する、より軽い強迫観念までも、治ることに繋がることがあるようなのです。
ですので電車のを治したら時刻表のも治ったというわけなのです。
強迫性障害の治療をしていて、このようなことを経験しました。

ドラクエのセーブの強迫観念と強迫行為も、電車関連の強迫観念が治ったのと同じで、
別の強迫観念と強迫行為を治したら、ついでにセーブのも治ったのですね。
残念なことに、ずいぶん昔のことなので、どのような強迫観念や行為を治したら、
セーブのが治ったのかは思い出せませんけども、
結果的に治ったのですから、それでよいのです。

もし現代の僕がセーブの確認強迫をするような症状が出たらですね。
携帯型のゲームをセーブして、それでも不安で仕方ないなら、
まずセーブし、そして、電源を切らずに、そのままスリープ状態にして、
充電コードに繋げておくことと思います。
据え置きゲーム機の場合でも同様にすることでしょう。

そうしておけば、電源を切っていないのですから、
セーブに成功していてもしていなくても、なんの問題もなく、
ゲームを続きから遊べるので、確認強迫をする必要がなくなるからです。
そうしてゲームの症状は放っておいて、もっと他の重い症状の治療に、
取り掛かることでしょう。

そうしていれば、いつの間にかセーブの確認強迫も治りますからね。
もっとも、セーブの確認強迫しか、強迫性障害の症状がなかったとしたら、
必死になって、この症状の治療をすることでしょうけどもね(^-^)




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2014年2月8日土曜日

新聞配達の確認強迫8-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で説明した方法のよいところは、強迫観念と極度の不安がありつつも、
なんとか日常生活を送れることにあります。
日常生活をいつも通りに送ることが、即治療に繋がるわけです。
そのような方法ですので、確認強迫をしないようになることと、
新聞配達を続けるということの両立が可能になったのです。

もう随分と昔の話ですので、新聞配達の確認強迫が治るまでの期間が、
どれほどのものであったのかは忘れてしまいましたが、
忘れてしまうのですから、そこまで長期間ではなかった筈ですし、
確認強迫をしていた時以上の苦しみは感じなかった筈です。

確認強迫をしても辛い。確認強迫をしなくても辛い。
同じように辛いのならば、確認強迫が治る可能性が高い、
確認強迫をしないという選択をするのが一番なのではないでしょうか。
これを読んでくださっている強迫性障害の皆様も、
是非、確認強迫をしない選択をしてくれることを願っています。

余談なのですが、この方法を思いついたのは、
過去の僕の様々な経験があったからなのです。
たとえば、18歳で禁煙していた時、喫煙衝動に苛まれて、
煙草を吸いたくて仕方がなかったのですが、ある時気付いたのです。
この喫煙衝動は、酷い時もあれば、喫煙衝動を全く感じることなく、
煙草のことをすっかり忘れてしまっている時もあることを。

では、どのような時に喫煙衝動を感じないのかと調べてみると、
大抵、ゲームや掃除などをしていて、
それに夢中になっているところにあることが分かったのです。
その時、さらに気付いたのは、この喫煙衝動は、
強迫性障害の強迫観念に似ているのではないかということです。

であるならば、今やっている禁煙のための方法を活用すれば、
確認強迫をしない時に発生する強迫観念を感じなくすることも、
可能ではないかと考えたのです。
そして、それは実際に可能だったというわけで、
新聞配達やその他多くの確認強迫と強迫観念の治療に役立ちました。

ちなみに、確認強迫の方は治ったのですが、禁煙は失敗しました(笑)。
音楽を聴きながら紫煙を燻らせる時間が、僕には至福の時なのです。
このように、禁煙程度のことすら出来ない、意志の力が薄弱な僕でも、
確認強迫はきっちり治せたのですから、大抵の人は治るようです。
実際に、13年間の活動の中で無数の治った人を見てきましたので、
よほどの重度の方でない限りは、なんとかなると信じています。




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2014年2月5日水曜日

新聞配達の確認強迫7-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、強迫観念を消そうとしなくてもよいのです。
強迫観念から発生する極度の不安も消そうとしなくてよいのです。
ですので、当然、確認強迫もしなくてよいのです。
これらを全て諦めてしまうことが大事になってきます。
まず、強迫観念が出てきたら、1度だけ、その強迫観念の、
非論理的なところ、不条理なところを批判し、
頭により正しい思考を思い浮かべます。
新聞配達の場合ですと、たとえば、

「新聞の種類を確認して、新聞を二つ折りにしたけども、
ちゃんと、この家に配る新聞だっただろうか?」という強迫観念に対して、
「新聞の種類を自分で確認したのだから、再度確認する必要はない」
というように、正しい思考を思い浮かべるわけです。

当然、そのようなことを頭に思い浮かべたとしても、
強迫観念も極度の不安も消えないのです。消えなくて当然ですので、
消えないのなら、それはもう、そのままにしておけばよいのです。
当然、強迫観念と不安に苛まれて、非常に苦しい思いをすることでしょう。
でも、そのまま苦しみ続けてください。

苦しみ続けつつ、今している仕事(ここでは新聞配達)をします。
苦しみながら、ひたすら新聞を配っていきます。
当然、確認強迫をしないで配っていくことになりますし、
確認強迫をしないので、強迫観念も不安も解消されないままです。
それでも、それらによって苦しみ続けつつ、配ればよいのです。

そうして配り続け、最後まで配り終わり帰宅します。
帰宅しても、当然、「間違って配達したのではないか?」とか、
「新聞店に苦情の電話が入って、店長が謝りに行ったのでは?」とかの、
強迫観念に苛まれますが、それもそのままにしておきます。

大事なのは、強迫観念にせよ、極度の不安にせよ、
それを感じたとしても、そのままにしておくことです。
そのままにしつつ、日常を送っていればよいのです。
強迫観念にしても不安にしても、そのままですと当然辛いです。
でも辛いだけですので、確認強迫をせずに、そのままでいましょう。

強迫性障害が、辛すぎて死ぬような病気ならばともかく、
ただ辛いだけなのですから、その辛さを感じつつ、普通に日常生活を送る。
それが重要となってきます。
どれだけ辛い思いをしても、この病気で死ぬことはありませんので、
安心して苦しんでください。

前にも説明しましたが、この時、強迫観念をなんとか消そうとして、
何度も頭の中の強迫観念を打ち消すために、強迫観念を、
頭の中で打ち消そうとしたり、無視しようとしたりしなくてもよいのです。
そのようなことをしますと、かえって、強迫観念を強化してしまいます。
ですので、ただ、そのままにしておくのです。

感覚としては、「頭の中に強迫観念があるなあ」と思って苦しみつつ、
わずかでもいいですので、その時していることについても考えます。
そのような精神状態で、日常生活を送ります。

そうしますと、面白いもので、時間の経過に反比例するように、
強迫観念も極度の不安も、徐々に力を失っていくのです。
最後の方になりますと、日常生活ですることのみに集中していて、
気付いたら強迫観念が消え去っているのです。

強迫観念や極度の不安が消え去るまでの所要時間は、
人によって違いますけども、いずれは必ず消えるものですので、
消えるまで苦しみ続けましょう。苦しみを甘んじて受け入れてください。
それだけでも、苦しみは和らぎますし、先にも説明したように、
その先には、強迫観念も極度の不安もない世界が待っているのですから。




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2014年2月1日土曜日

新聞配達の確認強迫6-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、ここでは、強迫観念が発生した時に、確認を1度で済ませ、
確認強迫をせずにいた時、強迫観念と極度の不安に苛まれたら、
どのようにして、確認強迫をしてしまうことなく、強迫観念と不安を消すのか。
その方法の一つについて説明していくことにします。

このような場合、頭の中に強迫観念と極度の不安が発生します。
人によっては動悸がするなどの身体症状まで出てしまうこともあります。
このように強力な強迫観念と不安があるので、
ついつい確認強迫をすることで、強迫観念や不安を解消しようとしますが、
これでは、確認強迫は治りませんし、強迫観念も治りません。
ですので、このような時に、確認強迫はしない方がよいかと考えます。

また、強迫観念が頭に思い浮かぶから、確認強迫をしなければならない。
それならば、強迫観念を消せばよいのだ!と考える人がいますし、
それは実際、その通りで正しいのですが、消す方法が正しくないケースがあります。
たとえば、強迫観念が頭に浮かんだ時、
頭の中で「消えろ! 消えろ!」と必死に念じ続けるような行為がそれです。

このように強迫観念と真正面から戦う行為というのは、
常に強迫観念を意識し続けることを意味しますので、
よほどの強靭な精神力をお持ちの方以外は、いつまで経っても、
強迫観念が消えないまま、極度の不安に苛まれ続ける結果になりますので、
いずれ、不安に負けて確認強迫をする結果に繋がり、まず治りません。

では、強迫観念を意識的に無視しようとするのはどうでしょう?
これも仮に完全な意味で、強迫観念の存在を自分の意識の埒外に、
置くことが出来るのならば、それで治るのでしょうけども、
強迫観念は常に自分の意識の中にありますから、それを無視するためには、
まず、強迫観念の存在を認識しなければなりません。

そうしますと、その度に強迫観念を意識することになりますので、
この場合でも、やはり強迫観念はいつまで経っても消えないので、
いずれ、不安に負けて確認強迫をする結果になることでしょう。
このような方法では、強迫観念を消せないのです。
ここで自分の常識を疑ってみることが大事なのです。

その常識とは、「不安は解消しなければならない」という常識です。
言うまでもなく、不安になったら、非常に不快になります。
不安でさらに不快でもあるのならば、当たり前のことですが、
不安を解消して安心しようとしますよね。
でも、そのために、あれこれやると不安はなかなか消えてくれません。

というのも、不安を直接的に解消しようとする行為というのは、
その全てが、そうした行為をするたびに、毎回、
不安を意識しなければ出来ないものだからです。
不安を消そうとしているのに、不安を直接的に消そうとすると、
毎回不安を意識してしまうので、不安が消えるばかりか、
場合によっては、逆に不安が強化される事態にもなるのですね。

このように不安を直接的に解消しようとすると、
かえって不安を強化することになりかねませんので、
もういっそのこと、消そうとすることを諦めてしまうとよいでしょう。

強迫観念を消そうとしなくてもよいのです。
強迫観念から発生する極度の不安も消そうとしなくてよいのです。
ですので、当然、確認強迫もしなくてよいのです。
これらを全て諦めてしまうことが大事になってきます。

諦めてしまい、その後、どうするのかは、次回で説明することにします。




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2014年1月30日木曜日

新聞配達の確認強迫5-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、1度だけ確認した後、強迫観念に苛まれ、
それによって、極度の不安に陥っても、確認強迫をしないための方法について、
説明していくことにします。

新聞を1度だけ確認してポストに入れると、当然ながら強迫観念が発生します。
そして、その強迫観念が生み出す不安があまりに強いため、
その不安を解消するために、もしくは、その不安から逃れるために、
確認強迫をしてしまうというのが、確認強迫をしてしまうまでの過程です。
新聞配達における強迫観念は以下のようなものでした。


「間違えて配達することで、お客様にご迷惑をかけていないか」
「その結果、購読を止められて、自分の給料が下がるのでは?」

確認を1度だけして、ポストの前から去ると、このような強迫観念に苛まれます。
そして、それによって、極度の不安が発生します。
しかし、ここで確認強迫をしてはいけません。
確認強迫をしないと、極度の不安はそのままなので、
とても苦しいのですが、それでも確認強迫はしないのです。

強迫性障害の当事者の方、経験者の方ならよくご存じの通りですが、
あの極度の不安は非常に耐え難いものですので、
あのような強迫観念と極度の不安に苛まれた場合、
それに耐えられるわけがないと思ってしまう方もいます。

なるほど、確かに耐えるというのは、相当に難しいことです。
変な話、僕もあの極度の不安に、なんの策もなく耐えることは不可能です。
耐えられないほどの不安だからこそ、僕も含めて、
みな、確認強迫をしてしまうのです。

たとえば、強迫観念が発生した時、その強迫観念に対抗するため、
必死になって、頭の中で戦う方がいます。
人並み外れた強靭な精神力をお持ちの方でしたら、
もしかしたら、そうすることで強迫観念と、そこから発生する極度の不安に、
耐えられるかもしれません。

そうして耐え続け、一定の時間が経過すれば、
不安は徐々に弱まっていき、確認強迫をしなくてもよくなりますし、
そうした経験を何度も繰り返せば、そう遠くないうちに強迫観念も、
発生しなくなるのです。

ただ、それまでの経験から、強迫観念というものは、確認強迫をしなくても、
一定の時間さえ経過すれば、とにもかくにも、強迫観念は消え去り、
そうした経験を何度か積めば、強迫観念自体、発生しなくなることを、
幸いにして、僕は知っていました。

となれば、強迫観念が発生した時、どんな方法であってもよいから、
とにもかくにも、確認強迫をしないことが大事となってきます。
強迫観念が発生しても、確認強迫を一切しないまま、
時間を経過させることが出来るのなら、どのような方法でもよいので、
時間を経過させてしまえばよいというわけです。

普通の精神力の人ですと、頭に発生した強迫観念と、
喧嘩しても、無残に敗れ去ってしまいます。
僕も100戦して100敗、負け続けの人生でした。

そこで考えたのです。強迫観念が発生して、極度の不安に苛まれても、
どのような形であっても、時間が経過したら、
次第に不安も弱まり、強迫観念も消えるのなら、
強迫観念と戦う以外の方法もあるのではないだろうかと。

強迫観念と戦って無残に敗れるわけでもなく、
強迫観念から逃がれるために、確認強迫をするわけでもない、
第三の選択肢があるのではないかと、考え始めたのです。
そして、頭の中でも、実際の行動でも、あらゆることを試してみて、
いろんな方法があることに気付いたのですね。

そのうちの一つが、強迫観念が発生し、極度の不安に苛まれて、
確認強迫をしたくなった時、確認強迫をしないでいると、
強迫観念が活発化し、不安も極限まで高まるのですが、
その時に、強迫観念と極度の不安をそのまま感じ続けることに、
専念するという方法です。

長くなったので、続きは次回で説明することにします。




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2014年1月29日水曜日

新聞配達の確認強迫4-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、完璧主義、社交不安障害、生活の困窮が、
確認強迫をを生み出す、強い不安の源泉であることを知ったので、
それを治すことにしました。

ここで、それらを治す過程を書きますと、
強迫性障害の話が出来るのが、数年後になりそうですので、
それらについては、またいずれ説明するとして、
ここでは、治したその後の確認強迫の治し方について説明します。

完璧主義、社交不安障害、生活の困窮が、
ほぼ改善されても、それまでの習慣はなかなか変わらないもので、
その後も、確認強迫が続いていました。
ただ、改善する以前とは違って、自分の確認強迫が、
過剰なものであると、認識することが出来るようにはなっていました。

自分の確認強迫が不条理なもので、確認が過剰であると、
しっかりと確信を持てるようになったら、確認強迫の治し時です。
完璧主義、社交不安障害、生活の困窮がある程度改善されたので、
以前よりは強迫観念が生み出す、異常なほどに強い不安は、
感じなくなったので、今なら治せるということで治療に挑戦しました。

これまでも書いてきたように、確認強迫の治し方は、
強迫観念が頭の中に発生したら、強迫観念の不条理なところ、
非論理的なことを自覚することから始まります。

自覚した上で、強迫観念が発生しても、その強迫観念は、
そのまま放置しつつ、確認強迫をしないことを、
何度か続けていれば、次第に確認強迫をしなくても、
強迫観念が時間の経過とともに、徐々に弱まっていき、
ついには発生しなくなるのです。

「間違えて配達することで、お客様にご迷惑をかけていないか」
「その結果、購読を止められて、自分の給料が下がるのでは?」

という、二つの強迫観念と、それが生み出す不安を感じつつも、
確認強迫をせず、確認は1度だけにして、新聞をポストに入れます。
確認を1度だけして、ポストの前から去り、次の家に向かうのです。
すると、当然、強迫観念が頭に思い浮かびます。

次回では、確認を1度だけにして、強迫観念が頭に渦巻いた時、
どのようにすれば、やりすごせるのか。その具体的な方法を、
説明することにします。




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2014年1月26日日曜日

新聞配達の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いたように、強迫観念によって生まれた不安が、
あまりに強烈なために、確認せずにはいられなくなって、
確認強迫という症状が出てしまうのです。

そうであるならば、この不安を普通の人が感じる程度の不安にまで、
弱めることが出来れば、確認強迫にならず、1度の確認で安心できます。
まずはこの不安が発生する過程です。


1.間違えて配達して、お客様にご迷惑をかけることと、
  その結果、自分の給料が減ることを避けたいという、
  二つの強い気持ち

2.1の気持ちが強すぎるため、「間違えて配達したのでは?」
  という強迫観念が発生。

3.間違えて配達したとしたら、1で懸念している不利益が現実のものとなるので、
  それを恐れて、極度の不安に陥る。

4.極度の不安から、なんとか逃れるために確認強迫をしてしまう。


という流れで、極度の不安に陥り、その不安を解消するために、
確認強迫をしてしまいます。このような過程によって極度の不安が発生します。
確認強迫をしてしまうのは、この不安が普通の人と比べて、
極度に強すぎるせいなので、この不安を弱めるための方法を考えました。
それを、説明していくことにします。

この極度の不安を生み出す思考は、上記の1です。
この1は「間違えて配達してお客様にご迷惑をかけること」と、
「給料が減らされたくない」という二つの思考から成り立っていますので、
この思考から吟味していきたいと思います。

まず「間違えて配達したら、お客様に迷惑がかかる」というのは、
これは当たり前のことですよね。新聞配達はお客様あっての商売ですから、
ご迷惑をおかけするのはいけませんので、
配る新聞を間違えてはいけないと思うのも当然です。

それでも、普通の人に見られない、極度の不安が生まれるのはなぜか。
この思考そのものには問題はないのですが、
この思考を生み出した、僕自身の思考のより深い部分に、
問題があるのではないかと考え、さらに自分の思考を言語化したところ、
いろいろと分かったのです。

まず配達を間違えるということ、それ自体を許せない考えがありました。
強迫性障害の人の完璧主義的傾向はよく言われますが、
やはり僕も完璧主義ですので、そうした自分の失敗が許せなかったのです。
失敗を極度に恐れ、完璧を追求しすぎる思考。
これが配達を間違えるということに、極度の不安を生み出す源泉の一つでした。

また、「お客様にご迷惑をおかけすること」についても、
それを避けたいのは当然のことです。この思考自体は普通なのですが、
その背後にある思考を言語化してみると、異常なものがあったのです。
それは、「お客様にご迷惑をかけることで、お客様からの評価を失いたくない」
であったり、「お客様に怒られたくない」などの思考でした。

当時の僕は社交不安障害がまだまだありましたので、
人からの評価が落ちて、人に怒られたり、嫌われたりすることを、
極度に恐れていたのです。このような恐れがあまりにも強いために、
自分を否定されでもしたら、絶望することに繋がりますので、
それが極度の不安を生み出していたのです。

また、間違えて配達することで、お客様が新聞の購読を止め、
自分の給料が下がることを恐れるのは、生活の不安からでした。
少ない給料でやりくりして、なんとか生活していた当時の僕ですので、
少しでも給料が減ることは、死活問題だったのです。

このように考えてみると、1の思考の源泉がよく見えてきます。
そこで、上に書いた極度の不安を生み出す流れを補足すると、
以下のようになります。


0.完璧主義があるので、失敗すること自体を自分で許せない。
  社交不安障害があるため、失敗してお客様に怒られ、
  否定されることを極度に恐れる。
  生活に困窮しているので、収入が減るのは死活問題。

1.0という大前提が自分の思考にあるので、
  間違えて配達して、お客様にご迷惑をかけることと、
  その結果、自分の給料が減ることを避けたいという、
  二つの極度に強い気持ちが生まれる。

2.1の気持ちが強すぎるため、「間違えて配達したのでは?」
  という強迫観念が発生。

3.間違えて配達したとしたら、1で懸念している不利益が現実のものとなるので、
  それを恐れて、極度の不安に陥る。

4.極度の不安から、なんとか逃れるために確認強迫をしてしまう。


ということになります。であるならば、根本的に、
1の思考を生み出す大前提である0を治さなければ、
なかなか、確認強迫を生み出す、極度の不安も解消出来ません。
完璧主義、社交不安障害、生活の困窮。

この3つの自分の脳内の思考や障害をなくすことが、
確認強迫を治すためには必要だと判断した僕は、
それをなくすために、いろいろと行動することにしたのです。

このブログは、あくまで強迫性障害の治療の仕方について、
説明するものですので、上の1を生み出す大前提の、
完璧主義、社交不安障害、生活の困窮を改善するための試みについては、
説明しません。また別の機会にでも書くとして、
これらを改善した後の、さらにその先の確認強迫の治療についての説明を、
次回では、説明していくことにします。




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2014年1月25日土曜日

新聞配達の確認強迫2-確認強迫(強迫性障害)5-治療編

新聞配達の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)5-治療編
で書いてきたように、確認強迫の一つを統合したことで、
新聞配達における確認強迫は、


1.ポストに入れる前にまた、新聞の種類が正しいか確認強迫
2.ポストに入れた新聞を取り出してまで、さらに確認強迫
3.5軒前の家のポストの中の配り終えた新聞までも確認強迫

というように、1つ減って、3つになりました。
1つ減っても、まだまだ確認強迫が多すぎて、精神的にも、仕事自体にも、
支障が出ていましたので、次に1の新聞をポストに入れる前の確認強迫を、
治すことにしました。

ポストに入れる前に、新聞を確認してしまうのはなぜかと考えますと、
違う新聞を入れることによって、お客様にご迷惑をかけたくないことと、
そうしたことを繰り返して購読を止められて、
自分の給料が減ることを避けたいという、二つの理由があります。
ですので、新聞を必ず正確に配達したかったのです。

そうした気持ちが極度に強すぎたことで、強迫観念が発生します。
「新聞を正しく入れられたかどうか?」であったり、
「間違った新聞を入れてしまったのではないか?」であったりです。
こうした強迫観念が頭の中に発生して極度に不安になるので、
正しく新聞を入れられたのかを確認して、安心しようとするために、
確認強迫という症状が発生しているわけなのです。

さて、強迫観念を生み出す思考である、
お客様にご迷惑をかけないことと、自分の給料が減るのを避けたいこと。
この2つは極めて普通の思考、全うな思考であると言えます。
ですので、この2つの思考については、特に変更する必要はありません。
次に検証する必要があるのは、強迫観念です。

「新聞を正しく入れられたかどうか?」という強迫観念ですが、
正しい新聞をポストに入れられたかどうか気になるのもまた、
当たり前のことですので、至極当然な思考であると言えます。
ですので、これについても変更する必要はないと判断しました。
仕事ですから、正確にやるのは当たり前のことなのです。

こうして考えると、確認強迫という行動のみが異常で、治すべきものと判断できます。
確認強迫は強迫観念から生み出されるというよりは、
実際は強迫観念によって生み出された不安が、常識外れの強烈さで、
なんとかそこから逃れて安心したいという強い思いが生み出しています。
普通の人も同じ不安を抱えていますが、そこまで極度の不安は感じません。
強迫性障害の人の場合の不安が異常なだけです。

であるならば、確認強迫を治すためには、
この強い不安を普通の人と同程度の弱い不安にする必要があります。
不安が普通程度のものになれば、確認を何度も繰り返すことなく、
1度の確認をするだけで、配達の正確性を実感できるわけで、
確認強迫などしなくなれるわけなのです。

新聞配達の確認強迫は、このように強迫観念が生み出す不安が、
極度に強いことが原因であると、僕は判断しました。
この不安をいかにして解消すればよいのかを、
次回、詳しく説明していくことにします。




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