2014年3月15日土曜日

針の確認強迫1-確認強迫(強迫性障害)7-治療編

針の確認強迫-確認強迫(強迫性障害)7-症状編
で、お話ししたように、「自宅の部屋の畳の上に針が落ちているに違いない!」
という強迫観念が発生してしまったために、
畳の上に座れなくなってしまった僕は、自宅で過ごす時には、
何時間もずっと立ったまま過ごしていました。
家族の奇異な物でも見る目に晒されながらも立ち尽くしていました。

さすがに、これは肉体的にはもちろんですけども、
何よりも精神的にきつかったので、なんとか治そうと考えたのです。
ちなみに、この場合については、確認強迫はありませんでした。
それ以前には、目で見ても、その目で見た結果が信じられず、
手で部屋中の畳の全てを触れることにより、針が落ちていないことを確認して、
ようやく座れたのです。

ですが、そうした確認強迫をすることまでも怖くなったのです。
畳に手を触れることすら怖くなってしまっていたのでした。
大げさに表現すると、「畳に触れること=死」という感じでした。
ですので、目で見て針が無くてもあるとしか思えなくて、
手でも針の有無を確認出来なくなった僕は、
畳の安全性を全く感じられなくなってしまったので、畳に座れなくなったのです。

この場合、いかにして治すべきかと、毎日、座れないまま、
何時間も立ち尽くしながら考えていました。
その僕のそばでは、家族が座ったり、寝そべったりしてテレビを見ています。
当たり前の光景ですが、ある時、ふと疑問を感じたのです。
「家族はなぜ、畳の上に平気で座れるのだろう?」と。その時に気付いたのです。

「僕は畳に座れないが、立ててはいる。
もし、針が落ちているならば、足に刺さり、既に死んでいるはずであろう。
(足に針が刺さっても死にませんけど、そうした強迫観念だったのです、笑)
畳に足を踏み入れ、何時間立っていても死なないのならば、
座っても死なないのではないか」と。

そのことに気付き、強迫観念とは違う、
より現実に即した文章を導き出します。それは、
「畳の上に立ち続けても死なないのだから、座っても死なないのは当然である。
なので、座ってもよいのだ」というものです。
そうした文章=思考を頭に1度だけ念じてから、座ろうとしました。

もちろん、座れません。「畳の上に座ったら針が刺さって死ぬ」という、
意味不明な強迫観念ですが、長期間、そう思い込んでいたので、
そう簡単にはその強迫観念に逆らうような行為は出来ないのです。
ですので、徐々に慣らしていこうということで、
まずは畳に手で触れることから始めてみることにしたのです。

実際に畳に手を触れるだけで1か月ほどかかった記憶があります。
その後も、数か月かけて、1本の指から2本の指というように5本まで増やし、
さらには10本の指で触れられるようにしていきました。
「畳に触れても死なない」と行為する前に一度だけ頭に強く念じ、
それ以降は念じずに行為するようにしていました。

そうして、両手の手のひらも触れられるようになり、
片膝をつけるようになり、というように、さらに数か月かけた結果、
ようやく座ることが出来るようになったのです。

こうして畳の上に座ることが出来るようになったのですが、
そのために一番大変だったこと。
それは、畳に触れた時に発生する、強烈な強迫観念を、
いかにして消し去るかということでした。
その方法を、次で説明していくことにします。




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