確認強迫の数を減らすために、一定の数を決めて確認行為をすることで、
確認強迫を終わらせる習慣を作ると、その一定の数の確認行為をしなければ、
確認行為をやめられなくなると述べました。
強迫行為が儀式行為に変化してしまうのです。
たとえば、毎回、50回と決めて強迫行為をし、
それを以て、自分が正確に確認が出来たと自分自身に保証するようになると、
「50回強迫行為をしなければ、確認は正しくないに違いない」というような観念が、
生まれる危険性があります。その場合、儀式行為と呼ばれる症状になるだけです。
違った症状になるだけで、強迫性障害が治らないままになってしまいます。
ですので、確認強迫を治そうと考える場合ですと、
当然、治すためには強迫行為の数を減らさなければなりません。
ですので、理想的なのは1度の確認のみしかしないことです。
いきなり1度で終わらせるのが無理だとしても、少なくとも、
今までより少ない強迫行為で済ませ、徐々に減らしていき、
1度の強迫行為で終わらせることを目指すのがよいことと思います。
さて、確認強迫はなんらかの強迫観念が考えたくもないのに、
勝手に頭に浮かび上がってくるため、その強迫観念を消すために行われるものです。
僕の場合、お金の数を確認するのは、「お金を落としたのではないか?」とか、
「お金を盗まれたのではないか?」といった強迫観念が頭を渦巻くので、
お金の数を数えるという確認強迫をして、この辛い強迫観念を消そうとするためでした。
強烈な強迫観念に苛まれている時は、確認を1度したとしても、
その強迫観念を払拭できません。でも大事なのは確認を1度だけしたら、
それで強迫観念が全然消えなかったとしても、2度と確認をしないことです。
と言いますのも、人間というのは、行動と思考と感情が密接に関わり合っていますので、
行動を変えて、ずっと同じ行動を繰り返していたら、思考も変化していくのです。
確認強迫を数十回、数百回としていれば、自分の確認という行為を、
どんどん信用できなくなっていき、自分が物事を確認する能力に自信を失い、
強迫観念を払拭するための確認行為をする回数が飛躍的に増えていきます。
その逆に、どれだけ強烈な強迫観念に苛まれ続けていて、
1度の確認行為でそれを払拭出来ず、確認行為後も強迫観念に苦しめられたとしても、
確認行為を1度だけで済ませ続ければ、
だんだんと強迫観念という勝手に浮かび上がってくる思考も、
1度だけの確認行為という行動に合わせて変化していきます。
「お金を落としたのではないか?」という強迫観念は1度の確認では解消出来ない、
という、強迫観念そのものの内容と、確認行為の精度に対する自信の無さが払拭され、
1度の確認行為だけで、「お金は落としてもいないし、盗まれてもいない!」と実感出来て、
強迫観念もそれに伴う不安も払拭出来るようになるのです。
大事なのは確認行為は1度だけしかしないということ。
その結果、どれだけ強迫観念に苛まれていても、
その強迫観念から生まれる、極度の不安に苛まれたとしても、
最初の1度以降は、確認行為をしないことなのです。
そうすれば、みるみるうちに強迫観念も不安もなくなっていきます。
強迫観念も、それから生まれる不安も、
強迫行為をしないと、最初は相当に強烈に自分を苛むのですが、
そのまま強迫行為をしないまま、耐え続けていけば、
時間の経過のうちに、自然と弱まっていき、いずえは消えてしまうので、
それを信じて耐え続けていけばよいのです。
次回は1度の強迫行為をした後の、相当に強烈な強迫観念や不安が、
時間の経過によって消えてしまうまで、
いかにして耐え続けるか、いかにしてやり過ごすのかについて、
記していくことにします。
続きはこちらです。
・お金の確認強迫3-確認強迫(強迫性障害)1-治療編
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