で書いたように、ここからは玄関の鍵に関する確認強迫と強迫観念を、
治療して克服し完治させた方法について説明していくことにします。
まず玄関の鍵に関する、強迫観念について考えてみます。
「鍵がかかっていなかったら、泥棒に入られるのではないか?」というのが、
この場合の強迫観念でした。これは強迫性障害じゃない人も恐れることですが、
精神の健康な人の場合、鍵をかけた後、こうした観念がずっと頭の中に、
渦巻くということはありません。
こうした心配が極度に過剰なのが強迫性障害たる所以なのです。
ですので、精神の健康な人が心配する程度の観念にするために、
強迫観念のように何度も続き、極度の不安を感じさせるものから、
ちょっとだけの人並みの心配にまで是正する必要があります。
そこでまず考えたのです。昔は田舎の家ですと、
出掛ける時、玄関の鍵をかけずに平気で、家を空けていました。
田舎では誰も泥棒などしないという、近隣住民に対する信頼があったからです。
また、非当事者意識とでも言いましょうか。
「自分の家には泥棒なんて入らない。あれはテレビの中だけのことだから」
というように、田舎に泥棒が出没することを、非現実的なことと考えていました。
もし、このような他者への絶対的な信頼や、非当事者意識が、
強迫観念に悩まされる人の頭に生まれたならば、たとえ強迫観念が出てきても、
「ないない、泥棒なんてこんなとこにいないから(笑)」と、笑うだけで済みます。
「鍵をかけなくても、泥棒は入ってこない」という考えが彼らにはあるからです。
これを強迫性障害の人が心から実感出来れば、強迫観念は確実に消滅します。
しかし、悲しいことに現代日本では、どこにでも泥棒が出没しますので、
今の時代では、「鍵をかけなくても、泥棒は入ってこない」と思い込めません。
そうした考えの反証が現代ではあまりに多すぎるので、無邪気にそう思うことなど、
出来なくなってしまいましたので、昔の田舎の人のような考えを定着させて、
強迫観念を消すのは、もはや現代では無理だと判断しました。
次に考えたのが、以下の考えです。
「もし鍵がかかっていなくて、泥棒に入られたとしても、
お金などの大事なものは厳重に保管しているから盗まれることはない」
と考えました。お金などを手の込んだ場所に隠し、
さらに隠し場所を見付けても、そこにも鍵がかかっているくらいの厳重さで、
お金などを保管しておくことにするのです。
そのようにすることで、「玄関の鍵をかけ忘れ、泥棒に入られてしまっても、
泥棒は何も盗めないのだから、玄関の鍵をかけておくにこしたことはないけども、
鍵をかけてなくても盗まれないから大丈夫だ」と考えるようにしてみました。
そもそも鍵をかけられなくて泥棒に入られることを極度に恐れるのは、
「泥棒に家に侵入されたら、大事なものを盗まれるに違いない」からです。
大事な物を大事に思うことは当然ですけども、それも度が過ぎると、
大事な物を失うことを極度に恐れてしまい、家から一歩も出ずに、
それを守り続けてみたり、玄関の鍵の強迫観念が生まれたりします。
でも、大事な物をしっかり守っているのならば、玄関の鍵がかかっていようが、
かかっていまいが、それなりに安心して出掛けられます。
このように考えることで、強迫観念がちょっとだけ和らぎました。
ほんのちょっとのことですけども、このことによって、
確認強迫も1時間前後から数十分で終わらせることが出来るようになりました。
ですが、「凄腕の泥棒なら盗まれるんじゃないか?」という強迫観念が新たに芽生え、
それ以上に強迫観念を和らげ、確認強迫を行わないようには出来ませんでした。
「これでは、まだ駄目だ」と思い、さらに強迫観念を消すために、
自分に定着させる考えを求め、さらにあれこれと考え続けて出した結論を、
次回で説明していくことにします。
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