僕は昔、通信制の大学に在籍していました。
その大学の場合、学期末に単位認定試験が行われますので、
当時、社交不安障害の僕は必死になって、試験会場まで行きます。
極度に人が苦手でしたので、会場内に入れないことが多いのですが、
ごく稀に会場内に入れたので、その時は試験を受けられたのです。
その大学の単位認定試験は、マークシート方式で行われます。
名前だけは文字で書き、生年月日、学生番号、問題の解答については、
特定の数字の部分を塗りつぶすという方式だったのです。
言うまでもなく、当時の僕もまだ、強迫性障害です。
強迫性障害のはしくれの僕ですので、名前を書いたら確認しますよ!
玄関の戸締りの確認ですと、戸をガタガタと動かして、
締まっていることを確認するというように、行動が伴いますが、
文字の確認となりますと、これはもう、ひたすら自分が書いた名前を凝視します。
人間の感覚というのは面白いもので、自分の名前を疑いの目で以て、
必死で凝視し続けるとですね。
自分の名前を意味する文字が、だんだんと意味を持ったものに、
感じられなくなってくるのです。さらに凝視し続けると、文字にも感じられなくなり、
そこに何も意味のない、ただの記号や模様のように感じられてくるのです。
そしてゲシュタルト崩壊が起き、もはや、自分の名前を意味していたはずの、
その文字が、何が何やらさっぱり分からない意味不明のものとなります。
自分が書いた名前を確認しようとすればするほどに、
自分の名前を意味する文字の意味がどんどんと分からなくなり、
最後にはそこに全く意味を感じられなくなっていくのです。
確認すればするほどに目の前の物事が表している意味が全く分からなくなってしまう。
これこそまさに、確認強迫の悲劇であり、恐ろしさでもあるのです。
ここまでくると、自分の名前の確認をするのは無理だと判断し、
次は10桁ほどの学生番号の数字の枠の中を塗りつぶすことになります。
0から9の数字のなかのいずれかの番号を塗りつぶすわけですが、
0から9の数字という選択肢が10もあるわけです。10個の選択肢の中から、
1つの数字の枠を塗りつぶす。1つ塗りつぶしたら、当然確認します。
一般人であれば、1度確認すればよいでしょう。0.1秒もかからないはずです。
しかし、強迫性障害の僕ですと、塗りつぶしたという自分の行為が、
どうしても信じられないので、当然、確認することとなります。
自分が塗りつぶしたのが、正しい数字だったのかの確認です。
そして名前の時と同じように、数字がゲシュタルト崩壊して終わります。
そのような作業を繰り返し、発狂しそうになりながら次の数字を塗りつぶします。
そうして塗りつぶしゲシュタルト崩壊しという過程を10回繰り返して、
ようやく10桁の学生番号を全て塗りつぶすことが出来るのです。
学生番号の10桁の数字を塗りつぶし終えた頃になると、
当然ながら、「ちゃんと自分の名前を書けたのだろうか?」と、
極度の不安に苛まれますので、再び、名前を確認するために名前の文字を凝視し、
そして文字がゲシュタルト崩壊して、正しく名前が書けたのかの確認が、
遂行不可能となり、絶望します。すると、また学生番号が心配になりと、
延々と確認強迫が続いていくのですね。
そして、確認強迫を続けていると、そのまま50分のテストの時間が終了するのです。
解答欄にまで辿り着けないままにテストが終了しましたよ!
当然0点ですので、単位は取得できませんでした。残念なことです。
このように強迫性障害の確認強迫という症状によって、単位が取得出来なかったので、
大学を卒業することを断念したのです。
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